平凡な「29歳、女」はnote始めた-自己紹介-
シナモンの香りが広がった部屋の中で、この地ではめずらしく降り続ける雪を眺めながら、「ウィンターチル」と名付けられた、想像に容易い、それっぽいプレイリストを流し、初めてnoteを使う。心地良い気もする。
これからの文章は全て、誰のためでもなく、自分のためなのだが、誰かの目にとまってしまうことも考えると、何故かカッコつけた感じの文章になる。ただし、実際にカッコがついているわけではない。心地良く、自分の時間を使っているだけである。カッコつけようと、するな、自分。
私は、29歳女、であり、その他に伝えられるような、属性がない。通りすがりのみなさま、こんにちは。
「フリーランスで」や「外資系企業で」や「Youtuberで」や「アメリカに住んでいて」「退職後、好きなことを」など、背負ってみたい属性は山のようにある。
現実は、そうではない。
平凡な、地方で真面目に会社に勤める、29歳女、である。今日は有給で、思う存分、自分の好きなように時間を過ごしている、29歳女。そう、29歳、女です。(何回言うねん)
有給であることに加え、雪がふり続ける今日は、特権を与えられた気分だ。雪の日に、外に出なくてもいい、という特権だ。特別な、守られている感じがする。そこのあなたもでしょうか。
こんな時間も、贅沢に思えるようになったのは、歳を重ねてきたからかもしれない。何かをしなければいけないと思ったり、違う自分にならなければいけないと思って苦しんだりする時間は、少なくなってきた。
目の前にある、ありのままの日常を切り取り、幸せを感じられる時間が増えた、29歳。けれど、切り取った日常はすぐに色褪せてしまうし、私の忘れっぽい脳みそからは、すぐに消えていってしまう。
きっと書き残すことは、溜まり続けるカメラロール内の情報よりも、私の平凡な日常を、「それなりに」貴重なように、美しいように、魅せてくれるだろうから。
もちろん日記のようなものは5年分、ある。机の中に隠してあるようで、セキュリティが弱いため、見つけられてしまうと私の心の中が露呈することとなる。誰も見つけないで。
嘘である、誰も見ていないと思うと、何故か誰かに見せたくなる。欲の塊である。だから私はnoteを始めた。
たまに平凡であることに嫌気がさす。でも別人にはなれない。世の中のすごい人たちを眺め、何故同じようになれないのか、と思う。でも別人にはなれない。
私は、私であり、ミシェル・オバマではないし、ルース・ギンズバーグでもないからだ。それでも私は私の毎日を生きている。
さらに幸か不幸か、このような不平等とされる世界でも、時間は平等だ。偉人とされる人たちと、同じ時間を私は与えられている。偉人と同じ時間を生きているのなら、平凡で、平穏なこの毎日を、文章にしてみようと試みても、罰は当たらないのかと思うのだ。これが、私の人生だから。記憶の中だけ、というのは勿体ない。
民間人が宇宙に行けるのだから、宇宙のように広いこのオンライン上に、私の文章くらい、打ち上げても、きっと罰は当たらない。
さあ、シナモンロールを食べよう。初めてパンを焼いてみた私を褒めてあげながら、食べよう。
最後に、陳腐な挨拶を… どうぞ、よろしくお願いします。
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