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勝つか負けるかよりも大事なことがあると知った日

早起きが苦手な私にとって、朝6時の街の風景というのは特別なイベントといつも一緒だった。大きなスーツケースをひいて空港に向かう旅立ちの日、ウェディングプランナーの代名詞ともいえる黒のパンツスーツに身を包み出勤する土日、そしてアメフト部のスポーツトレーナーとして試合会場に向かった日々。

特に、私が大学4年間を過ごした体育会アメフト部のことを思い出すと、どうしても複雑な気持ちがよみがえる。

万年二部リーグだったチームは、私たちが2年生の終わりに一部リーグに昇格し、4年生時には悲願の一部リーグ初勝利を飾った。私もいくらかはそこに貢献できたと思うし、外から見れば輝かしい日々を送ることができたのだろうと思う。

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けれど、4年間過ごしたアメフト部で楽しかった記憶はほんのわずかだった。ほとんどの時間は苦しかった。悪戦苦闘の日々だった。

週5日はずっと部活、オフの日はトレーナーに必要なスポーツ医学の勉強やトレーニング準備で、ブラック企業さながらの環境だった。旅行もバイトも気になる授業もインターンも英会話も趣味の音楽も、アメフト部以外でやりたかったことは常に後回しになった。人間関係の悩みもあった。トレーナーというポジションは学年に私一人しかおらず、部活を辞めることもできなかった。

あの頃よくOBが練習に顔を出しては「社会人になると今よりつらいことなんてないから、今を頑張っとけ」なんて言っていたけれど、引退して15年以上が経って真実だったなと実感する。あのときよりつらいことは、今のところない。特に、4年生だった最後の1年は身の丈に合わない重責と孤独に押し潰されて、ぺしゃんこになっていた。

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4年生の夏合宿は、特に暗い気持ちとともに思い出に残っている。

私はトレーナーだったから、選手が少しでも良い状態で秋シーズンに活躍できるよう怪我の予防をしたり、体力作りや運動能力向上のトレーニングメニューを練習に組み込んだり、怪我をした選手のリハビリを行ったりするのが役割だった。スポーツ経験すらない自分がよくやれていたなと、今になってみれば思う。

1年生の春に女子マネージャーとして入部した私は、同学年のトレーナーが全員退部したという理由で2年生の夏にトレーナーに転向。そこから2年ほど必死に勉強して迎えた4年生の夏だった。知識も経験もつたなかった。おまけに、10人ほどのトレーナーセクションをマネジメントする力量もおぼつかなかった。

頼りの3年生メンバーはおらず、2年生と1年生にそれぞれ何名か。ヘッドトレーナーというのは名ばかりの、力不足な私がそこにいた。しかし、トレーナーがチーム全体の足を引っ張るわけにはいかない。


その夏合宿は私にとって地獄絵図だった。睡眠もろくに取れず、人間関係のトラブルは続出、怪我人も多かった。合宿所に泊まり込みだから当然逃げ場などなく、四面楚歌だった。状況を俯瞰して考察したり打ち手を考える余力など、どこにもなかった。ひたすら耐えることでしかやり過ごせなかった。

ある夜、午前4時を回って仕事を終え、布団の敷いてある10人部屋にはなんとなく入りづらくて、空き部屋で座布団を枕に横になった。畳は硬くて座布団は臭くて、なんだか牢獄みたいだった。散々な状況にせめて思いきり泣いたりできればよかったのかもしれないけれど、涙の一つも出なかった。代わりに、少しほっとしている自分がいた。ああ、やっと一人になれた、と。

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一般に、そんなつらい日々も過ぎ去ってしまえばキラキラと輝かしいものとして思い出せるものだと言われる。しかしアメフト部の記憶だけは依然として苦々しい思い出のまま存在し、その後10年以上に渡って私の中でなかなか完了しない想いとしてひきずり続けた。

自分の感情や気持ちよりも、自分の役割を全うするのを優先したこと。一度は部活を辞めようとしたけれど未遂に終わり、そのあと引退まで文字通り自分の “心を入れ替えて” 過ごした自己暗示の経験。崖っぷちの試合ばかりだったせいか、自分に厳しく他人にも厳しく、まだやれることはあるはずだと問い続けた習慣。

何ひとつ間違っていないばかりか、チームのためのすばらしい貢献だったという見方もできる。そういった文化形成ゆえ創部以来最高の戦績でシーズンを終えられたともいえる。だけど私は、あの頃の自分が嫌いだ。

よくがんばったね。よくやったよ。

本当はそう言ってほしかった。あなたの味方だよ、もう大丈夫だよって、抱きしめてほしかった。何人かの先輩がねぎらいの声をかけてくれたけれど、私には受け入れることができなかった。正確に言えば、受け入れる方法を知らなかった。そのまま言葉通りに受け止めるだけでよかったのに。

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もしあの頃の自分に会いに行くことができたなら、ぎゅっと抱きしめて、よくがんばったね、ちゃんと見てたよと言ってあげたい。そうしたら、あの頃の自分はようやくほっとして子供みたいに泣きじゃくるのかもしれない。ずっと一人で踏ん張ってきたんだもの。きっとずっと、見えない何かと戦ってた。


確かにリーグ戦において戦わなくなることは負けることであり、スポーツの世界では負けるより勝つことが大事である。それは、戦い続ける理由として十分だ。

でも、今の私は知っている。終わりなく戦い続ける必要はないし、敵がいないところに戦いは存在しない。自分に内在する敵も、周囲に存在する敵も、作り出しているのは自分自身だ。

時には戦うことも必要かもしれない。でも戦う以上に必要なのは、自分が力を尽くせたときにがんばった自分自身をちゃんと認識してあげるということだ。私にとっては、それは思いのほか長い道のりだった。


最近になって、ようやくこの気持ちを完了できるようになったみたいだ。

よくがんばったね。

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