2回めの出産は計画通りには進まなかった
心身衰弱しながらの第一子出産から、早いもので2年半。
再度、上の子とおなじ大学病院で出産を迎えている。
前回との大きな違いといえば、今回は予定された日に入院して臨む「計画分娩」であるという点だ。
家族の事情を鑑み、日曜日を入院日に設定した。順調にいけば月曜日に出産して土曜退院、火曜日に出産したとしても日曜退院となる。里帰りもあるし、見通しが立つのはありがたい。
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今回も私は無痛分娩を希望している。この2年半の間にも無痛分娩を選択する人の割合はずいぶん増えた様子。時代だなぁ。
さて、この病院では、初産婦と経産婦とで分娩方針が異なっている。
初めての出産を体験する初産婦の場合、無痛分娩というより和痛分娩になる。麻酔を使わない自然分娩と同様、陣痛が始まってある程度子宮口が開いたら入院する。そして基本的には一定の子宮口の開きが確認されてから麻酔注入がスタートする。今は微妙に変わってきてるそうだけれど、私も第一子はその方針で出産した。
一方、すでに出産を経験した経産婦の場合は、いわゆる「計画無痛分娩」を選択できる。あらかじめ予定された日に入院し、検査を済ませ翌朝から陣痛促進剤と麻酔の注入を始めて分娩に至る方法で、他院だがこれを経験した友人は「出産が痛くなかった!無痛は神!」と絶賛していた。
私は39週4日で予定通り入院した。
38週で入院日を設定してもよかったけれど、前回も41週まで陣痛がなかったことや母や姉の経験談から考えるとなんとなく遅め体質な気がしたので、遅めにさせてもらった。結果的に、入院日まで陣痛や破水が起こることもなかったので、ぶじ陣痛が起こる前に入院できたという経緯になる。
陣痛や破水前に入院できる計画分娩のありがたさといったら。
前回が破水で真夜中に急遽入院したからこそ実感している。
分娩前に入念にシャワーを浴びておけるし、
麻酔を入れたあと食事ができなくなるぶんまで事前にしっかりカロリーを摂っておけるし、
当日朝に歯磨きや洗顔を済ませ、寝汗のない新しいパジャマに着替えて臨めるのも地味に嬉しい。
何より、前日入院してからの一晩は家事からも育児からも離れた自分時間を手に入れた。こんな贅沢な時間の持て余し方をしたのが久しぶりすぎて戸惑ったくらいだ。
ひさしぶりに童謡でもアンパンマンでもない自分の好きな音楽をかけて、SNSをしたりnoteを見たり本を読んだり、初めて「推しの子」を観たりした。
そして、翌日からの分娩にむけてゆっくり眠った。
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翌日、39週5日。
一般論でいけば、今日産まれる可能性はとても高い日。
朝から検査したり、無痛分娩に備えた麻酔の準備などがテキパキ進んでいく。個室の分娩室に移動し、基本的にはこのまま陣痛を誘発して分娩までを過ごすことになる。
診察の結果、赤ちゃんはまだまだ産まれる状態にないらしいとわかった。
陣痛を誘発する前に産道を柔らかくする薬の投与が始まった。その後比較的すぐに陣痛がくる人もいるらしい。
が、その薬を持ってしても、あまり赤ちゃんは子宮口のほうには降りてこなかった。
結局、そのまま朝まで眠った。
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39週6日。
陣痛促進剤が始まった。
麻酔の準備もとっくに完了しており、自分のタイミングでスタートしていいよとボタンを渡される。よし、痛くなったら即使おう。これで準備万端だ。
けれど、麻酔を使うまでもなく特に陣痛は起こらず、子宮口の開きにもあまり変化がなかった。
夜になって、バルーンを入れる処置も追加され、多少は進んだものの。
結局この日も産まれることはなかった。
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40週0日。いわゆる出産予定日になった。
余談だが予定日ちょうどに赤ちゃんが産まれる確率は、わずか5%程度らしい。
陣痛促進剤の種類を変えて再スタートした。
日勤担当の助産師さんがマッサージや足浴をしてくれたり、ツボを押したりしてくれた。先生が内診で子宮をぐりぐり刺激してくれたりもした。
入院直後あんなに嬉しかった自分時間は結果的にたっぷり続いていたが、もう何もやる気が起こらなかった。音楽をかける気にもならず、本も読み終わり、アニメの続きを観る気力もない。
時々前駆陣痛が起こり、ある程度の痛みには耐え、キツいときは麻酔を少し使ったりしたが、前駆陣痛が本陣痛に変わることはなかった。本陣痛ほど痛くなく、生理痛より若干痛いかもしれない痛みに一喜一憂しながら、ひたすら時が熟すのを待っていた。
すでに入院して4日め。助産師さんだけで50人くらいいる大病院なのに、ここまでくると多くの助産師さんと顔なじみになっていた。
午後2時、産科医の先生による診察があった。
入院時に2cmくらい開いていた子宮口はまだ4cm程度だった。産道は徐々に柔らかく広がってきていたが、まだ出口まで整ってはいなかった。赤ちゃんの頭は出口に向かって微々たる前進をしていたが、まだ降りてきている状態とはいえなかった。一言でいうと、まだ産まれるまで時間がかかりそうだった。
今日は陣痛促進剤を追加して、午後6時くらいまで様子見て、もしあまり変化がなければ一旦中断して明日に備えましょうか。そんな方針が決まった。
スマホで無料マンガをちょっと読み、飽きて少しうとうとしたりして、暇を持て余した。時間だけが過ぎていくなかで、もう何もする気にならなかった。二人めは産まれるの早いよとたくさんの経験談を聞いてはいたけれど、どうやら私の場合は「そうじゃないほう」にあてはまっていたらしい。
嵐の前の静けさ。ずっと時間とタスクに追われ続けていた日常を完全に手放し、時の流れに心身を委ねていた。ベッドの上に座って瞑想したり、横になったりしていた。
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「その時」は急にやってきた。
もうすぐ午後5時になろうとする頃、盛大に破水した。
まもなくして、本陣痛が始まった。いよいよだ。
やがて子宮口は7〜8cmまで開き、産道も広がった。わかりやすく進捗している。
びしょ濡れになったパジャマを着替えて分娩台に上がり、準備がみるみる整っていく。
ついに赤ちゃんがやる気だしましたね、とベテランの助産師さんが笑って言った。大人の事情なんて関係なく、この子のタイミングがあるんですよね。
徐々に子宮口は全開に向けて広がっていった。赤ちゃんの頭も次第に降りてきた。
最後の最後、呼吸を整えて渾身の力で産み出すのは母親の役目だ。一人目のときも火事場の馬鹿力で押し出した。今がそのときだ。
ところが。
びっくりするほど苦戦した。40歳の母体は疲れすぎていたのかもしれない。
あとちょっとなのに、いきみきれない。腕にも足にも最大の力を込めて腹筋を使ってお腹から押し出していたけれど、赤ちゃんがぐっと出る前に息が切れてしまう。
そんなことを何回も繰り返すなかで、赤ちゃんの心拍が苦しそうなサインを出し始めた。私は酸素マスクをつけて、深呼吸しながらお腹の中の赤ちゃんに酸素を送り、いきみ、お産はなんとか進んでいく。
たくさんのスタッフさんに囲まれサポートしてもらいながら、最後は先生と助産師さんの2人がかりで取り上げてもらい、3400gの娘が誕生した。
その頃、時計は夜10時を回っていた。
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「いやー、最後は吸引もよぎりましたけどなんとかいけましたね」
長時間にわたり対応してくれた産科医の先生が言ってくれた。穏やかなポーカーフェイスの裏では、赤ちゃんの心拍を見ながらハラハラしていたらしい。
「赤ちゃんの状態を細かく見ましたが、今のところは異常なかったです」
立ち会ってくれた小児科医の先生が言ってくれた。今回のお産で唯一の目標としていた、母子ともに健康で出産を終えることはなんとかできたようだ。
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娘は元気に泣き、新しい世界をキョロキョロとよく観察している。
計画分娩とはいうものの、計画的に進んだのは入院当日くらいで結局ほとんど娘のペースだったけれど、振り返ってみれば子育てってそんなことの連続だ。
娘には娘なりのタイミングがあるし、娘なりのこだわりも主張も都合もある。もちろん息子にもある。私は、その意味や価値をわかってあげられる親でありたいなと思う。
ここから、しばらくお仕事も休業して育児に専念する。
あまり社会に貢献する実感のない時間が続くんだろうと思う。誰かに認められたり評価されたりする機会もなくなる。働く社会人とは違う時間軸や価値観で生活していくことになる。ビジネス的価値観で言えば、生産性の低い日々を過ごしていくのかもしれない。
代わりに、両手に抱えきれない愛をもらって、全身で表現しきれない愛を生み出していくんだと思う。大切な家族とともに。
愛する存在がいるって、本当に幸せなことだなと実感している。