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結婚3年目のラブレター

結婚した瞬間に人生の満足度はピークに達し、それから2年で満足度がゼロリセットされるという調査結果があるらしい。2年を過ぎるとむしろ満足度がマイナスになるという。

先日、結婚してちょうど2年が経った。

私たちの結婚生活はほとんどコロナ禍とともにあり、とにもかくにも変化の連続だった。

平日はそれぞれ外で仕事という生活になると思っていたら、コロナの影響で二人とも在宅勤務になったり。通勤時間やアポの移動時間が一人きりを楽しめるときだったのかと、移動がなくなってわかったり。

まさか24時間一緒の生活がずっと続くとは思わなかった。急な環境の変化に適応しきれずイライラしていた時期もあった。実家にも帰れず友達にも会えないストレスからホームシックになり、ベッドでしくしく泣いた日もあった。夫は隣でただ黙って寝たふりをしていた。

家というある意味で逃げ場のない場所に閉じ込められ続け、新米夫婦の会話量が必然的に増えたことは、パートナーとしての互いの理解や信頼によい影響をもたらしたようにも思う。

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独身期間が長かったからか、もともとの性格なのか、私たちはそろってこだわりが強い。

家具の配置ひとつでも自分のこだわりを譲れず、どうでもいい言い争いもあった。唯一、仕事に対する相手のこだわりに関してだけは寛容で、例えば土日に仕事をしたいならすればいいというスタンスだった。「仕事と家庭、どっちが大事なの⁈」という問題は発生するはずもない。なぜなら、互いに仕事へのこだわりが強いがゆえに、相手にとっても当然仕事は大事だと信じているからである。

そういえば、コロナ前のあるとき、私が翌朝から1週間ほど海外に行くことがあり、どうしてもオフィスで集中して仕事を終わらせておこうとしたら帰宅が深夜2時過ぎになったことがある。

まだ荷物のパッキングは終わっていなかった上に、溜まった洗濯物のうちいくつかはスーツケースに入れて持っていきたいものだった。洗濯どうしよう…と考えながら帰宅すると、うとうとしながらも夫が起きてくれていて、なんと洗濯を回し乾燥にかけてくれていた(しかもほとんど乾燥が終わりかけていた)。

何も頼んでいなかったのに、なんというファインプレー。この時ほど、この人と結婚してよかったと思ったことはなかった。


今振り返ると、当時の夫と私には「家族」というような一つにまとまった感覚はなかった。どちらかといえば、個人と個人のペアだった。
「○○持ってる?」「あーウチにはあったけど、今はないかな」といった二人の会話で「ウチ」とはそれぞれの実家を指していた。



基本的には自分でなんとかするのが前提にあり、相手が困っていれば自分の負担になりすぎない範囲でついでにやってあげればよい。互いに自分の人生だけを生きてきた私たちにとっては、それが心地よい家庭のあり方だったのだろう。

こと私にとって「自立」は大きな人生のテーマである。経済的にも精神的にも生活面でも自分ひとりで完結できる力を備えておきたい。相手への期待は裏を返せば束縛や制約だと思うから、特に期待せずに各々が自由にやれるのが良いとずっと思っていた。

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妊娠と産休は、こうしたそれまでの価値観を一気に変えた。

私個人としてだけでなく、私たち家族としてどうしたいかと考えるようになった。「家族」から想起される対象に、夫と子供とで築く私たちの共同体という存在が現れた。これはとても、とても大きな変化だった。

私の産休は出産予定日の半年前から徐々に始まっている。かなり早い。完全な産休に入ったのは予定日6週前という一般的な時期ではあるものの、いくつかのタイミングが重なり半年前からお仕事量をセーブしていった。

言い換えると、出産まで半年を残して時間に余裕のある生活になったのだ。ずっとやりたくてやれなかったあんなことやこんなことも、時間に余裕があるとできる。心にも余裕が生まれる。体力にも余裕があるから、さらにやりたいことが出てくる。私の場合はたまたま引っ越し直後だったこともあり、細かな収納の工夫や家具の買い足しなど家づくりが進んだりもした。

それまでは気づくと仕事ばかりしてしまう性分だったので、日々のルーティンやスケジュールはほとんど仕事中心で回っていた。
緊急度と重要度で四象限に区分されたToDoリストは仕事も家事もその他も、ひとつの脳内シートに収まっていた。限られた時間の中で効率的にやるべきことを完了させていくためにはそうするしかないと思っていた。

ところが、時間と心と体力(と最低限のお金)に余裕が出てくると、脳内シートがいくつか現れるようだ。各タスクが私の限られた時間を奪い合うのではなく、仕事の時間・家事の時間・家族のための時間・自分のための時間などなんとなく区分された種類ごとに脳内でToDoリストが分かれ始めた。

自然ななりゆきで家族のための時間が確保され、家族のために自分は何をしたいか考え行動するようになり、構成員2名の家族という共同体を認識するようになった。夫と私は他人同士かもしれないが、私たちは家族として同じ舟を漕いでいる。

私は小さなこの舟を大切にしたいと思った。
いつか結婚式で掲げた「笑顔あふれる家庭」は待てば手に入るものではなく、笑顔でいようとする貢献の賜物らしいと身をもって学んできたから、二人の関係性をよりよくしていくための工夫を始めてみよう。私の中でそんなトライが始まった。そして、それは結局のところ、挨拶とかお礼を言うとか笑顔でいるとかといった、ごく当たり前のことなんだろうと今は思っている。

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夫にとってこの半年間はどんな時間だったのだろう。

産休で時間があったのは私だけで、その間に夫は転職をし新しい職場のあれやこれやに頭を悩ませていたと同時に、父親になる準備を彼なりにしていた。

できる範囲で私と共に舟を漕ぎ、時に休み、私と話し合いながらこれからの行く先を決めてきた。確保してきた家族のための時間は私の方がずっと長かったと思うけれど、今お互いが置かれている環境が逆だったら私も夫と同じ行動を取っていたようにも思う。



最近、「実家から本取ってきたんだよね、ウチに置いといたほうがいいから」と美容院ついでに帰省した夫が言っていた。
「ウチ」の定義が変わっていた。

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