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お皿に残った最後のエビ

新卒で入社した会社でウェディングプランナーを始めて、3年目にもなるとだいぶ余裕が出てきていた。

結婚式は本番直前の2週間が忙しさのピークで、新郎新婦にとっては不安のピークでもある。突発的に電話やメールで相談がくることもしばしば。担当プランナーである私がすぐに反応できないと、新郎新婦の不安は加速する。逆に言うと、担当の結婚式がお開きしてから次の担当まで3週間あれば、プランナーにはつかの間の平穏が訪れる。

カレンダーの逆を生きるサービス業にとって、大型連休もお盆も年末年始も長期休暇はまず取れない。土日は絶対休めない。平日5連休を取って海外旅行に行くなら、ここしかない。
そんな背景から、弾丸でフランスのパリに行くことにした。3泊5日。母を誘って、初めての二人旅だった。

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私は三姉弟の真ん中で、母と二人というシチュエーションをめったに経験せずに大人になった。まれに経験することがあるとすれば、駅までの送り迎えや中学受験の付き添い程度だった気がする。

母と過ごすパリは、友人や姉と行く旅行とはまた違う感覚だった。私にとっては、母の新しい一面を知る旅だった。小さい頃は厳しくて、お箸の持ち方、制服のスカート丈、朝ごはん食べなさい、言葉づかい、何かと叱られ続けてきた。

でも25歳になって訪れたパリでは、郊外にあるコルビュジェの建築を見に行くのに方向音痴な私の方が多少は正しい方角を示せたり、フランス料理は連続で食べるにはどうにも味が濃いからと貴重な食事機会なのにイタリアンやら和食のお店を探したり、ブランド物には興味がないけどせっかくだからねと私にバッグを買ってくれたり、母を一人の人として、いい意味で他人として認識できるようになったように思う。

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帰国前日は遅めのお昼をとっていて、最後だからとオープンテラスのカジュアルフレンチレストランに行った。爽やかで過ごしやすい気候のなか、美しいパリの市街地を見下ろす席で、料理はどれも美味しかった。

私たちはアラカルトでいくつかの料理を注文していて、そのうちの一皿が有頭エビの料理だった。エビフライかグリルかそんな感じの料理だった気がするが、とても美味しく、これはとても美味しいね、今回の旅の料理の中でも特に美味しいねなんて話していた。

エビは一皿に5尾しかなかった。2尾ずつ食べて、お皿には1尾だけ残った。すかさず母は言った。「最後のは奈津子が食べて」と。

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思い出すと、その時だけではなかった。

取り分ける料理も、美術館での鑑賞も、いつでも一番いいところを母は私にくれていた。それはパリ旅行中だけの話ではなくて、日常からそうだった。物心ついた頃からそうだった。たぶん、生まれた瞬間からそうだった。当たり前すぎて、気づくのにずいぶん時間がかかったみたいだ。

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あれから12年以上の時が流れた。今思えば、あの時私が知覚したのは、何があっても無条件に味方でいてくれる存在が私にはいるということだった。やはり今でも母が一番パワフルな味方であるのは変わらない一方で、父や姉弟や親戚もそういった存在なんだと気づくようになったし、自分も彼ら彼女らにとってそういった存在でありたいと自覚的になった。

この12年の間にもたくさんのアップダウンがあり、私は何度も崖っぷちに立つ羽目になった。

でも、孤独で不安で、疑心暗鬼になっていたときにも、そっと寄り添ってくれた友人や同僚、上司、先輩がいた。私にとって、生涯の友、生涯の師と呼べるかけがえのない存在。いつか彼らにもまた苦しい場面が訪れるだろう。そのとき、私はいつもと変わらない笑顔と態度で、いつもと同じリスペクトと愛をもって、私は今だってあなたの味方だよと全身で示すつもりだ。

あのエビは、私にそんなことを教えてくれたんだと思う。

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