妻が夫に伝える「モンテッソーリ教育」
この半年間、オンラインでホームメイド・モンテッソーリの講座を受講しました。
講義メモを毎回共有してきたけれど、おそらくほとんど読んでいなかったあなたに贈る、ここまでの学びのまとめです。
モンテッソーリ教育って、何?
オルタナティブ教育のうちのひとつです。
たとえば日本には、学校教育法という法律があって、文科省が公教育を管轄しています。公立・私立を問わず、文科省の管轄下にある学校はおなじ規定に従い教育を行っています。
が、子どもたちには公教育として管理されていない学校で教育を受ける権利もあって、それがオルタナティブ教育です。
インターナショナルスクールとかも、オルタナティブ教育です。学習塾は違いますね、学校ではないので。
モンテッソーリ教育の特徴は?
私なりのまとめですが、いくつかあります。
子どもは一人でできるという前提
0〜6歳の学びに最も重きを置いている
敏感期という考え方
順にお話ししていきます。
モンテッソーリ教育の何がいいの?
昨今、モンテッソーリ教育は人気です。
藤井聡太棋士やGAFAM創業者などモンテッソーリ教育を受けた著名人の活躍も追い風だと思います。自己肯定感の高い子を育てたいと思う親が増えているのも大きな要因としてありそうです。
教育方針には絶対的な解などなく、何がいいかは人それぞれ、子どもの個性によりけりです。モンテッソーリ教育が合う人も合わない人もいるでしょう。
ただ、私は今回初めて子どもの教育や成長について学んでみたら、気づいたことがあります。
人の成長について、まだ未解明のことが多すぎる
自分たちが子どもだった頃と今とでは、取り巻く社会環境が全然違う
自分が育てられた経験だけを頼りに子育てするわけにいかないのは、この何十年かの間に研究が進んで新しく人の成長に関する重要な事実が解明されていたり、社会の常識がどんどん更新されているからです。かといって、それじゃどうすればいいの?に答えられる人もいません。わからないことがまだまだ多くて、状況がどんどん変わるから。
正解がわからないから、自分たちで考えて、これだと思うものを選び取り、とりあえず信じてやってみるしかないんです。だから◯◯教育といったものに対して若干の宗教臭さを感じる人もいるんだと思います。
それでも、私は何も考えず何もしないよりマシなのかなって思います。違うと思ったら別の選択肢に切り替える余力は残しておくべきだけど。
モンテッソーリ教育の世界観
モンテッソーリ教育は、マリア・モンテッソーリ(1870-1952、イタリアの医師・教育者)によって提唱されました。
100年以上前に彼女がつくった施設は「こどものいえ」と名付けられ、その名の通り机や椅子、棚やトイレなどすべて子どもサイズで整えられました。これは「子どもは、環境を整えたら自分でできるように生まれている」「もしできないことがあるとすれば、物理的に不可能な環境にあるか、どうすればいいかやり方がわからないだけ」という思想がベースにあるからです。
言い換えると、子どもの成長や発達は大人が教えこむものではなく、子どもには自ら発達していける力が備わっている、ということです。親である私たちは子どもを成長させたり発達させる指導者ではなく、子どもが自ら発達するための周辺環境のひとつとして機能すればいいのです。
子どもは所詮は何もできない存在だから親の言うことさえ聞いていればいい、という考えとは一線を画します。
危ないから親がやるねと、頼まれてもない代行してませんか。かといって、子どもにその扱い方がわかるよう伝える努力もしないままに、子どもができるようになる機会を奪っていませんか。
子どもの発達には、適する環境が必要。やり方がわからないときには、やり方を示してくれる存在が必要。子どもの興味を引き出すには、子どもが触れられる範囲にいろいろな種類の刺激を用意してあげることから始めるとよいようです。
私たち親には、子どもの安全を確保した上で、子どもが道具に興味を持ったなら使い方を見せてあげて、あとは手出しせず見守る大役があります。
大人もまた、環境の一部。辛抱強く見守ることも人的環境の役割です。
モンテッソーリ教育に幼稚園・保育園が多い理由
モンテッソーリ教育では、人の発達は4段階に分かれると考えられています。
いわく、
0〜6歳: 乳幼児期(未就学児)
6〜12歳: 児童期(小学生)
12〜18歳:思春期(中高生)
18〜24歳:青年期(学生)
生まれてからの24年間で人格が完成するというふうにも見えますが、重要なのは、0〜6歳の期間が人生において一番大切な時期であるとモンテッソーリでは考えられている点です。人生を生きていくのに必要な力のうち8割がこの時期に備わるとされています。
加えて、3歳あたりにはいろいろとダイナミックな変化が訪れます。0〜3歳と3〜6歳はそれぞれ大きく違う特徴があるため、モンテッソーリ教師の資格すらも0〜6歳の前期と後期で分かれているらしいです。(0〜3歳・3〜6歳・6〜12歳の3種類)
そんなわけで、モンテッソーリ教育の真髄は小学校にあがる前の未就学期間にありそうです。実際、藤井聡太棋士がモンテッソーリ教育を受けていたと話題になっても、彼が通っていたのは幼稚園であって、卒園後は公立小学校に進んだようですし。
日本にモンテッソーリ教育の幼稚園・保育園はたくさんあって(神奈川県だけでも90近く)、一方で小学校は国内3校しかなく、高校に至ってはゼロです。
※ ただし、小学校以降は多くのオルタナティブ教育では日本の卒業資格が得られないという難題の影響が大きそうですが。
0〜3歳の子どもがいる私たちが知っておきたいこと
人の成長には未解明のことが多すぎると書きました。
脳の研究が進んだのも1990年代以降の話です。子どもには幸せに生きてほしいと願うのが親心ではあるけれど、さて幸せってなんでしょうね。そんな研究が盛んなのも最近のことです。
マリア・モンテッソーリは、医師であり科学者でした。なので、モンテッソーリ教育は(科学の)対象としての子ども観察が起点となっています。子どもはなぜ小さなパンくずに注目するのか。なぜ開きっぱなしの戸棚の扉を閉めたがるのか。危ないからと大人が先回りしてあれこれ世話焼きしすぎると、何が起こるのか。
ここからは、もうすぐ2歳になる息子の親として、知っておきたい「敏感期」「成長のサイクル」についてまとめてみます。
まずは敏感期について。
敏感期というワードを初めて知りました。
もとは生物学のワードだそうです。人間の子どもを観察する中で人間にも敏感期が存在すると唱えたのがモンテッソーリ博士。ただし、そもそも敏感期とは成長の過程で失われていくものです。
0〜6歳の子どもには、さまざまな敏感期が訪れては消えていきます。
早いものでは母の胎内にいるときから始まり、2歳くらいの子どもには、運動の敏感期・言語の敏感期・秩序の敏感期・小さいものへの敏感期・感覚の敏感期が訪れています。
たとえば、お散歩中に米つぶより小さな小石を見つけて拾い上げたり、家の中で短く小さい抜け毛に気づいて私の元まで持ってくるのは、小さいものへの敏感期にあるからです。小さいものに目の焦点を合わせたいのです。そうやって観察し、視覚をはじめとした感覚を養っているんですね。
ただし、敏感期には必ず終わりがあり、小さいものへの敏感期は3歳くらいには消失していくことが多いようです。あるときから小さいものに見向きもしなくなります。特定の敏感期にあるうちは、好きなだけやらせてあげたいですね。
また、運動の敏感期は、何も体を動かしたいというだけでなく大なり小なりいろいろな運動が含まれます。ものをつまむ動作も(指先の)運動。握るのも運動、ポイポイ投げるのも運動。まぁ、運動の敏感期だからといって食べ物をポイポイ投げるのは制止するけどね。ボール等をポイポイさせてあげましょう。
小学校以降、漢字の書き順を覚えるのに何度も紙に鉛筆で漢字を書いたりしますよね。あれができるようになる過程には、実はさまざまなステップが存在しています。
そもそも文字を書くことへの関心がないとやれないし、文字を書く以前に言語への関心、そして鉛筆を握って書き続けられる力が必要。
でも、想像してみてください。鉛筆を握れる以前に、はさみを動かすような手の動きが上達している必要がありますよね。はさみを動かす以前に、親指・人差し指・中指の3本指でものを上手につまめる運動能力を獲得している必要もあります。
3本指でものをつまむという運動の敏感期に、親は十分に上達する環境を提供してあげられたか?がこういうときにも影響してくるんでしょうね。座ってテレビを見ていても指は使わないし、iPadで動画をスライドしていても3本指でつまむ動作にはなりません。
理系のあなたが好きそうな説明もありましたよ。
親指・人差し指・中指の3本指を使っているときに一番脳の神経細胞に電気信号が走り、髄鞘と呼ばれる神経細胞の組織が成長するそうです。実は人間の神経細胞は出生時にはすでに数が決まっており、乳幼児期に神経細胞をつなぐ部分をいかに強くできるかが脳の発達に関与します。
ゾーンに入ったように同じ動作を集中して繰り返しているとき(集中現象といいます)に、脳内ではさかんに電気信号が走り著しく成長しているというわけです。
とくに、3本指を使って集中しているときが一番成長しているともいえますが、子どもが集中できるかは環境次第なので、親である私たちには環境を整えてあげる役割があります。邪魔せず放っておいてあげるのも、テレビやiPadに誘惑しないのも、3本指を使いたくなる魅力的なおもちゃに誘うのも、環境の為せる技。
つぎに、成長のサイクルについて。
自己肯定感というワードは1994年に日本人が提唱したとWikipediaに書いてありました。意外でした。
今じゃ大人も子どもも自己肯定感を高めようという記事にあふれていて全世界的なムーブメントに見えますが、たぶん日本特有ですねこれ。そもそも欧米や中韓などは日本人ほど自己評価が低いわけではないのでわざわざ問題にならず、アフリカなどの途上国の一部では教育システムの未整備で自己肯定感以前に課題がある状態だと拝察します。
でも、日本で暮らす日本人にとっては、自己肯定感が高い状態で生きる工夫は欠かせない。わが子には自己肯定感の高い人に育ってほしいという親の願いは、子どもの健やかな未来を守るために核心ついてると思うわけです。
自己肯定感とは、自分に自信があることとか自分大好きなこと、とイコールではありません。自分の長所も短所も含めて「まぁいっか」と捉えられるポジティブさ、とでも言ったらいいでしょうか。
自己肯定感の高い人は、何かに失敗したと思ってもそれに怯えすぎずまた次のチャレンジに進んでいけるポジティブさを持っています。これがすごく大事だとされるのは、今の時代に産み落とされた者ならではの観点かもしれません。
私たちの親世代は、ペーパーテストに正解を書いてマルをもらって、終身雇用が約束された環境で脱落しないように生きるロールモデルが幸せの象徴でしたね。
でも今は、中学受験すらも唯一の正解がない問題が出題され、思考力が問われる時代。企業の平均寿命より個人の就労期間のほうが2倍くらい長くて、定年を迎える前に会社がなくなる時代。自分で考え、自分で選択して、自分で決めたことに自分で向き合う力が生きていくために必要そうです。
モンテッソーリではそれを「成長のサイクル」とまとめているけれど、モンテッソーリでなくても似たようなまとめ方になる気はします。
何かに興味・関心を持つ
自分で選択してやってみる
繰り返しやってみるなかで集中して取り組む(集中現象)
達成感・満足感を得る
そうやってさまざまな能力を習得していく
できることが増え、自己肯定感が高まる
新たな何かに興味・関心を持つ(1に戻る)
親が関わる上で最大のポイントはどこでしょうか? 私は2だと思います。自分で選択し決めさせてあげること。
良かれと思って、無意識に本人の自己選択、自己決定の機会を奪っていないか。世話好きな家族に囲まれて育ったがゆえに、頼まれてもいないのに代行していないか。当たり前のように、親の言うことを聞くよう押し付けていないか。
何も、サッカーを始めるのかピアノを習うのか決めるばかりが機会ではありません。2歳に満たない子どもでも、どちらの服を着るのか、どの遊びをするのか、日常のなかに選択機会は存在しています。親の言うことを聞いてもらわないといけない場面はもちろんあるけれど、そうでなければ選択肢を用意してあげたい。
私が受講した講座の中では、自己肯定感に加えて社会に対する肯定感も非認知スキルとして求められる時代になっているという話がありました。
社会を見渡してもいろいろあるしいろんな人がいるけれど、根本的には人を信頼しポジティブに捉えられる感覚。
周囲と関わり合いながら、思いやりや感謝を持って社会とともに生きていく。自己肯定感と同様、社会に対する肯定感も時によってゆれ動き、高いときも低いときもあるものなのでしょう。それでも、最後にはポジティブな未来を描く力が人にはあると思います。あなたにも、私にも、この子にも。
こうして半年間モンテッソーリ教育を学んでみたけれど、やっぱり小学校は地元の公立がいいと思うし、いまの保育園が気に入りすぎてるから遠くて園庭のないモンテ園に転園する気もしていない。
だけど、乳幼児期間である今の時期、特有の敏感期を見逃さずに集中させてあげられるおうちでありたいと思っているんだ。マイペースで慎重なあの子の個性をこれからも守り続けてあげたい。やりたいことの主張が強くてよく驚くけど、やり遂げたときのにこにこ笑顔がこれからもずっと見られますように。
さあ、ここまでで、約6000字。
何日もかけて睡眠削ってこつこつnoteに書きためて、あなたに伝えたかったことはひとつ。
「それ、わがままじゃなくて敏感期だよ。」
P.S. 現在、7期生の受講申し込み受付中だそうです。
https://home.tsuku2.jp/f/dai5ki/moushikomi