私のホイしもの
私のこんなつぶやきから週1でお題を決めてnoteを書いてみるという試みが始まった。
思いのほか賛同者が集まってとても嬉しい。これを書き上げた後にみんなの投稿を読むのが楽しみだ。
第1週目のお題は私が提案した「欲しいもの」だ。
特に自分が書きたいから提案したわけではない。この試みの参考にさせてもらった、今はもう連絡も取らない友人が昔やっていた企画を遡って見返し、その中で比較的みんなが書きやすいかなと思われるようなお題をパクらせてもらった。
書きやすいかなと思ったが凝り性かつカッコつけの私は1週間考えてもなかなか何について書くか思い浮かばなかった。
1週間折りに触れてそのテーマについて考えるというのはなかなかいいものだ。やはり週1という設定は正解かもしれない。
しかし、私が欲しいものってなんだろう。
物理的な「物」ならそりゃ色々ある。
先日、7年ほど愛用した腕時計が壊れた。
ソーラー電池の時計なのにいくら日光に当ててもその針がもう一度動き出すことはなかった。今度は思い切ってApple watchにしようか。腕をピッと当てるだけで改札を通る様には憧れてしまう。そのうちICチップが身体の中に埋め込まれて腕どころか通過するだけで改札を通れてしまう時代が来るかもしれない。ICチップは任意の埋め込みなのでまだ現金派の人も世の中にはいて、身体そのものがお金の価値を持った人のことを「正真正銘の現金ヤロー」とか揶揄したりするんだろうか。
でも昨年ipadとMacBookとAirpodsを買ってしまったので今Apple watchを買うといよいよ狂信的なAppleヤローになってしまう。
もうすぐ引っ越しをするので冷蔵庫も欲しい。
角が少し丸まったくすみカラーのレトロな冷蔵庫なんて可愛いんじゃないだろうか。冷蔵庫が可愛いだけで中身も整理整頓する気になるかもしれないし料理も頑張れるかもしれない。週末に1週間分のおかずを作り置きして、毎日お弁当を持っていく素敵な生活が送れるかもしれない。
いやいや、物理的な「物」について書くんではちょっとひねりが足りないかな。
今の私に必要なもの…。
なんだかんだやっぱりパートナーは欲しい。
なんで欲しいのか。
私は「この人だけは何があっても味方だ」みたいな存在が欲しいのかもしれない。
でも「この人だけは」なんて思うのはやはり重いのではないだろうか。そんなことを思っているから私の恋愛はいつも上手くいかないのではないのか。そもそも誰かがいないと自分を保てないのは依存的になっている証拠であって、まずは1人で幸せになることができる人間が誰かと一緒になっても幸せになれるということなのではないのか。そもそも「幸せ」の定義とは…
ということを書き出すといつものような長くて重めのnoteになってしまう。
それを打破したくてこの企画を始めたのに。
この着目点は今は深追いしないことにしよう。
では私が精神的に欲しいもの、つまり「欲しい性質」とはなんだろう。
それは「適当さ」や「いい加減さ」である。
私は元来へんに生真面目で、自分でも嫌になる程深刻に物事を考えてしまうところがある。何か作るにしても熟考に熟考を重ね、気合いを入れまくって結局疲れてしまう。このnoteを書き始めるのに1週間かかってしまったのもその性質のせいだ。
最近イラストをTwitterに上げ始めてみて気付いたのだが、「気合いを入れて描いた絵」より、「今日はもうこのくらいでいっかとテキトーに描いた絵」の方がいいねの数が多い傾向にある。
気合を入れて描いた絵は、どこからか重苦しさを感じるのかもしれない。
テキトーに描いた絵の気楽さやゆるさに、人は心をくすぐられるということだろうか。
そんなわけでこのnoteも何も決めずいい加減に書き始めてみた。
するといきなりタイトルを打ち間違えて、変なふうに変換されてしまった。
「私のホイしもの」
なんだそれ。
私が「ホイ」するもの?
「ホーーイ!」
何も思い浮かばなかったけどとりあえずテキトーな私なのでそのままにしておいた。