「文章を書くのの何が好きなの?」という問いが、自分の内側を見つけてくれた話
これまで自分自身に課したことのない問いは、
いつだって私を深い思考への道へ導いてくれる。
私は文章を書くのが好きだ。
そんな話をしたら、「文章を書くのの何が好きなの?」と聞かれた。
「書く」という行為には、いろいろな種類がある。
学生の時は、設定されたテーマに関して文字数を稼ぎながらマス目を埋めていたし、
今では好き好んでnoteに日々感じることを書いている。
過去、インタビューをして記事に編集する仕事をしている時期もあったし、
レビューという形でAmazonや口コミサイトに投稿するともある。
自分の感じたことを140字以内で垂れ流すこともそうだし、
推しについて熱い想いを書くこともそう。
私の周辺に存在するさまざまな「書く」という形態の中で、
さて、改めて、私は書くことの何が好きなんだろう?と考えたときに、
私は実は『書くことそのもの』が純粋に好き、というわけではないらしいことに気づいた。
いやもちろん書くことそのものも好きなのだが、
それ以上に、書く内容を考えているときの方が圧倒的に楽しいのだ。
私が好きな「書く」という行為の発端は、
自分のなかの感情の揺れや疑問が生じたときが多い。
感情が動くと、頭のなかで「それってなんで?」「それってどういうこと?」と
奥へ奥へ、物事の核のようなものに掘り進んで近づいて行って、
これだ!と光輝くコアのようなものを掴む瞬間がある。
私にとっては、この瞬間がとてつもなく楽しい。
掴んだものが物事の核に近いと、他の物事に応用できたりする。
スーパーでの感動が、改めて人生で何を大切にするかを確認するきっかけになったり、
髪を振り乱しながら行っている育児の工夫が、ビジネススキルを高めてくれていたり。
そんなきらりと光る核・コアのようなものを見つけると、
この思いをどこかに残したい!誰かに伝えてみたら役に立つかもしれない!
という思いが湧き上がる。
そう、書きたいというよりはむしろ「残したい!」「伝えたい」感情で、
それを達成するための手段が「書く」ということなのだ。
書くという行為は、文字という手段を使って、
私のなかにあるぼやっとした、すでにあるものを一番近い形で表現している感覚だ。
そのぼやっとしているものは、まるで魚のように掴んだ側からするりと抜けていって、
一度逃したら同じように掴めないことも多い面倒な生き物だったりする。
だから私はいつもキーボードを焦りながら打っていたり・・・。
書くことが私にとってなぜ楽しいのか、改めて考えてみたら、
自分の頭の使い方のクセとか何を大切にして要るかが理解できた。
「書くことを仕事にしたい」
前から密かの思っていたぼんやりとした夢が、今は具体的な目標に変わっている。