【アメリカ生活】多文化で生きる息子は、違う所ではなくて『共通点』を見つける
息子は現在、アメリカでデイケア(保育園のような所)に通っている。
通っている子ども達・先生の人種は様々で、
肌や目の色が違ったり、身につけるものが違ったり、話す言語が違ったりする。
そんな環境が当たり前で育った5歳の息子。
先日テレビ会議をしている夫の部屋に入ってしまったときに、
参加者の一人である、ガタイの良い黒人の写真を見て発した一言。
「この人お父さんと同じユニフォーム着てるね!」
夫の会社には作業着がある。
会社では全員それを着て業務にあたることが必須だそうだ。
確かにその人も写真では夫と同じ作業着を着ていた。
でも、私が写真を見て思ったのは「ガタイの良い黒人さんだ!」だった。
私には作業着なんて見えなかった。
私の住む地域は白人の割合が高く、黒人と接する機会は比較的少ない。
さらに私は現地の人とは女性との付き合いがほとんどなので、
黒人の男性と接する機会はこれまで限りなく0に近かった。
私は、限られた世界で、アジア人と白人のコミュニティで生きている。
だからこそ、私はテレビ会議の画面に写った彼の、「違う所」に目がいってしまう。
でも、多文化で生きている息子にとっては、
違うということは当たり前すぎて言及する必要がないことで、
「共通点」に価値を置き、言葉を発していたのだ。
なんて頼もしいんだと思った。
私の凝り固まった頭で見えている世界と、全然違う世界を息子は生きているんだ。
そんな私が、彼のためにできることってなんだろうと日々考えている。