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【子育て】目指すのは「兄妹のどちらもひいきしない」原理原則に基づく子育て


時々思い出す光景がある。

私には4つ上の姉がいる。小さい頃から、面倒見がいい姉だった。
私が小学校くらいの時だろうか。
姉と母が言い合いをしていた。この言い合いは時々見られる場面だった。
「私ばっかり我慢してる!!!」
これも、言い合いの終盤によく聞かれるセリフだったーーー。

この言葉を遠くで聞くたびに、なんだか身体が縮こまっていく感覚があった。
確かに私は、当時末っ子の立場を最大限利用してわんぱくをしていたと思う。
しかし、私自身は、母から特別優遇されている自覚は全くなかった。
自覚はないものの、その言葉は「私の存在が姉を苦しめているのかもしれない」と思うようになるには十分だった。

「お姉ちゃんって呼ばないで」。
ある日突然姉からのこの言葉に、これまでの鬱憤が集約されていたと思う。
おそらく姉は、「お姉ちゃんだから」という理由だけで、優先されなかったり、我慢を促されていたのだろう。
その日を境に、家族の中での姉の呼び方が「お姉ちゃん」から「●●(名前)」になった。


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母になった今私が思うのは、「当時の母も姉も私も、3人まとめて抱きしめてあげたい」ということだ。
母の振る舞いに、明確なエコ贔屓はなかった。母は、姉がそこまで言う理由がわからず首を傾げていた。
姉は我慢していると言った。事実は『認識』でしかないから、母や私が何を思おうとも、姉が我慢していると感じるなら我慢していたのだろう。
私は、姉の機嫌を伺いながらも傍若無人「っぽい」末っ子を演じることが多くなった。
みんなそれぞれで、悩んで苦しんでいた。


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今、子どもと接する際に私が気を付けていることは、
「兄妹のどちらもひいきしない」原理原則に基づく子育てだ。
全てが我が家のルールのもとで判断され、「兄だから」「妹だから」といった立場に左右されない接し方だ。
さらに踏み込んで言うと、「あの時はA」けれど「今はB」といった、時と場面に左右されない、
「私の機嫌がいい時はOK」だけど、「機嫌が悪い時はNG」といったことがない接し方だ。
(特に最後のはとても難しい。私も完全ではないと思う。けれど、意識はしている。)


「兄妹のどちらもひいきしない」子育てとは。
例えば我が家では、
寝る時に絵本を読む際、誰の選んだ本から読むのかは、日替わりで交互だ。
YouTubeで見たいものを選べるのは、歯磨きとお着替えが早く終わった人。
人が使っているおもちゃで遊びたい時は、遊んでいる方が満足して変わってもいいと思うまで我慢する。
「お兄ちゃんだから譲ってよ」もないし、「妹ならまだ理解していないからちょろまかそう」もない。

兄も妹も、等しく、「母から愛されている」という実感を持てる様になるために。

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