相手のためか?自分のためか?第三の選択が夫婦を育てる
もう随分経ってしまったのだけれど、
過日の夫婦の分配法則に警鐘を鳴らした(笑)記事に、
こんなコメントをいただいた。
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「相手が自分に何をしてくれたかではなく、自分が相手に何をしてあげられるか♡」
“・・・が大事なんですよね” とまでは書かれていなかったけど、多分、そう考えることを実践されようとしているのではないかと受け止めた。
これ、とても大事なこと。
相手にしてもらったことを数えるより、自分がしてあげられることにフォーカスする。
それは、変えられるのは自分だけ、、、という現実からすると、とても理にかなっている。
主体的に、そして能動的にできることを考えるって、良い人間関係には欠かせないポイントだ。
でも、私が目を留めたのは、
「相手(のため)に」という 「for 〇〇 」という部分。
関係性の中で、自ら能動的にコトを起こすとき、
それは、相手のためにやっているのか?
または、自分の(利益の)ためにやっているのか?
「相手のために」は理想だけれど、それだけだとちょっと理想的すぎて、次第に疲れてしまいそう。
だから最近は「自分のために」することが大事だよ、的なことを言う人が増えてきてるなーと感じる部分もあるけれど、でもそれってやっぱり、どこか利己的な臭いが否めない。
と、そんな思いから、夫婦カウンセリングをしたり、パートナーシップを語るときは、
相手のために、ではなく、
自分のために、でもない、
第3の選択の重要性をお伝えしている。
■For you 私があなたのために
相手と自分、それぞれにグラスを持っているとする。
私があなたのために何かする、というのは、自分のグラスに入っている水を相手のグラスに注ぐようなイメージ。
自分が持っているものを相手に提供する。
目に見えない気遣いだったり、時間だったり、労力だったり。
そうすることで、相手のグラスは前よりも満たされる(ように見える)。
だけどそれを続けていると、ふと思うのではないだろうか。
「今度はそっちが入れてくれないと、私のグラスは空っぽになっちゃう」
■For me あなたが私のために
「相手が自分に何をしてくれたか」(を数える)というのはこの視点。
「あなたが私のためにしてくれる」というのは、先程のグラスの水を注ぐ逆バージョン、相手→自分 だ。
1980年代に「くれない族の反乱」という名ドラマがあったけれど(古っ☆)あれは、私はこんなに「してあげている」のに、私には「何もしてくれない」というところに注目して不満を募らせていく主婦の思いを題材にスタートする物語(・・・だったと思う)
もし、自分も相手も、それぞれが水の湧き出る泉か何かを持っていて、二つのグラスの行き来を繰り返しても疲弊しないのなら、それも構わない。
でもやっぱり「あなたのため ←→ 私のため」という二元論構造の中にいると、前にも書いた「ホールケーキ取り分け競争」と同じことが起こってしまう。
■For us 私たちのために
と、そこに「私たち」という3つ目のグラスを登場させてみる。
これ、すべての関係性においても登場するものではないと思うのだけれど、少なくともパートナーシップにおいては、3つ目のグラスが大事なのでは?と思う。
3つ目のグラスは、その関係を継続的に育てようと両者が合意したとき、自ずと出現する・・・という感じ?
つまり、3つ目のグラスは「私たち」を表す。
相手のために or 私のために という、どちらかがどちらかのグラスに注ぐという思考から、
私たちのために、共有している一つの同じグラスに水(愛情)を注ぐ、という思考にシフトしてみる。
「私たち」ということは、自分にも関わることなので、仮に何かを注いだとしても、自分の分が減ったわけではない。
もちろん、いつでも平等に、公平に、注ぐ量を配分できるわけではない。
でも、配分する必要もない。
だって、「私たちのグラス」が満ちているということは、二人の「関係に対して努力している」ということであって、それは自分にも恩恵があるということだから。
「私たちのグラス」から溢れ出たものは、それぞれのグラスでキャッチされる。
まるで、シャンパンタワーの無限ループだ!
(この三つ目のグラスを登場させるというアイデアは、私が以前教えていた、選択理論心理学の提唱者であるウィリアム・グラッサー博士が来日されたとき、その奥様であるカーリーン・グラッサー先生が教えてくれたもの。
カーリーンは「For us」とは言っていなかったけれど、その話を私なりに構成していたら、シャンパンタワーの無限ループに至った^^;)
パートナーシップは奥が深い。
これさえすればいい!みたいな、簡易マニュアルは存在しない。
だけど、せっかく縁あって一緒に暮らす(生きる)選択をしたのであれば、「あなた」でもなく「わたし」でもなく、「私たち」という唯一無二の相乗効果を存分に味わう方が、人生が豊かになると思う。