私がBowspringと出逢うまでの物語②理想と現実
初めましての方も
そうでない方も、こんにちは!
BowspringインストラクターのNatsukoです。
音声で聞きたい方はこちらから
👂
さて、前回は自分の目指すべきものを見つけ、
まず地元から飛び出した中学校入学まで綴りました。
今回はその続き。
中学、高校と世間の世知辛さや現実を少しずつ
感じていきます。
中学校はバスケットボール部
高校はソフトボール部
バスケはスラムダンクに憧れ
ソフトはオリンピックに影響されるという
かなりミーハーな私です。
今なら理解できる事も
この時の私は子供過ぎました。
バスケ部ではシックスマンとして起用されます。
サッカーで言うと野人岡野やゴン中山的な存在です。
(例えが古いでしょうか😅)
ソフトボール部では4番ライトとして
試合には出てはいたけれど、
オールラウンドプレーヤーでした。
誰かがいなくなった穴を埋める。
雰囲気を変える。
今思えばとても光栄なポジションなのですが
当時の私は自分が要らないと言われている気がして
大事にされている気がしなくて
あまり好きな扱われ方ではありませんでした。
どうにか自分が重宝されたいとか
必要とされたい、爪痕を残したい
強く思うようになったのだと思います。
私が私がというエゴが強くなっていきます。
傲慢な私はソフトボールの試合中取り返しのつかないミスをします。
このミスをなかなか乗り越えられませんでした。
そんな時日本代表ソフトボールの宇津木監督とお会いする機会に恵まれて、シドニー五輪のサヨナラ負けをした時の話をしていただきました。
この頃から気持ちが切り替わり始め、
次のオリンピック目指そうかなくらい思った事が懐かしいです。(ちなみに、岩崎恭子が金メダル取った時は水泳をしていたので、次は私がと思ってました😅)
チーム力や自分の持ち味。任せるとこは任せる。
そんな事を改めて考えるようになります。
高校時代の記憶はほとんどないですが、
ソフトボールは創部当初から関わった事もあり
私の青春ともいえる楽しかった思い出です♪
2021年9月11日日本時間だと夜
お手洗いに居間を通ると
テレビには信じられない光景が映っていました。
呆然とする母。
声が出ませんでした。
夢だったのかなと思っていましたが、
翌日の朝のテレビはこの事件一色。
ニコルと登ったワールドトレードセンターが
おもちゃのように崩れていく…
あの時登った時のことや屋上で写真撮ったこと
走馬灯のように頭に浮かびました。
ついこの前まで留学したいなと思って
母と留学雑誌をみて楽しんでいたのに。
もう私の知っているニューヨークではない。
いろんな理想が崩れ落ちていくようでした。
だからといって
私が何ができるわけではない。
そんな無力さを感じました。
ニコルはどんな思いをしているのか。
パパやママは無事なのか。
ちょうど同じ年に池田小学校の事件があったり。
(後に大学の卒論でも扱います。)
人は同じように生まれるのに
なぜ犯罪を犯してしまうのか。
私はなぜ生きているのか、
何のために生きているのかと思うようになります。
しばらく世の中は飛行機や海外に行く事を
控えるご時世になります。
こんな田舎で呑気に暮らしているわけにはいかない。
まずは海外よりも日本から何かできないか。
とりあえずニューヨークよりも東京に出よう!
踊る大捜査線が大好きだった私は、
「警察官」という職業に憧れを抱きはじめます。
そうふと急に思い立ち、
長く続けていたピアノを活かして
音大へ進学したいという気持ちもありましたが、
警察官になるために法学部へ進学する事にします。
第一希望の大学ではありませんでしたが、
当時は数少なかった犯罪心理学の学べる大学へ
進学が決めます。
ようやくここで上京が決まります。
広島脱出計画
第2ステージはクリアしました!
ここでゴールと言ってもいいくらいの
嬉しさでした。やっと解放された…
そんな気持ちでした。
と、広島脱出計画が成功したとこで
続きはまた次回。
それでは!