私がBowspringに出逢うまでの物語③東京進出の先にあったもの
初めましての方も
そうでない方も、こんにちは!
BowspringインストラクターのNatsukoです。
いつもありがとうございます。
音声で聴きたい方はこちら
👂
念願の東京進出を果たした私。
さてこれからどうなるかー??
もちろん、父は東京行きに大反対!
父は自分も大学は東京だったので、
これから娘がどんな世界を味わうのか。
すいもあまいも心配していたはず。
そんな父の気持ちも汲んでとりあえず福岡の大学を受験します。
(広島からは出る気満々です💦)
これが不合格となり、
結局私を受け入れてくれた大学は一つしかなかったのです。
あんなに受験勉強したのに…
もう最後の方は疲れ果てておりました…。
東京進出は果たしたものの…
大して行きたい大学でもなかったので、
もう胸を躍らせてというわけでもありませんでした。
今考えるとそれくらいがちょうどよかったのかもしれません。
さらに東京行きの条件として
大学で寮生活をすることになります。
絶対故郷に錦を飾る!とまでは行かずとも
NYに出るような気持ちで
東京で爪痕を残してやると、企んではおりました✨
大学生活ではそれなりにバカもしながらも。
授業などは結構真面目に出てました。
友達の代返をよく頼まれるほどです^^
興味のある分野の授業は本当に楽しかった!
ゼミは犯罪心理学を専攻します。
なぜ犯罪者ができるのか。
幼児期の絵の描き方などから分析する方法など学びました。
卒論では、刑法9条は是か非か?について書きました。
どうしても池田小学校の事件について考察したくて、
触法精神障害者の犯罪について自分なりに検証しました。
大学生は大人なのか子供なのかの入り口。
今まで田舎で呑気に暮らしていた私の心は純真無垢なものでした。
たくさんの危険な世界と出会います。
すいもあまいもいろいろありました…
こりてないとこもたくさんありますが、
その度に学んでいきます💦
そのせいなのか
大学時代の友達は今までにないくらい仲良くなりました。
いざ、自分の就職を意識し始めた頃。
実際の警察官の方とお会いしたり観察する中で、
警察官は案外私の目指す方向性とは違うのかもしれないと感じはじめます。
就活をはじめ、世間の厳しさを目の当たりにします。
大学名で明らかな差を感じます。
各々の力量というよりも、まず大学で切られるし、話も聞いてもらえない。なんなら、有名どころの大学生からは発言するだけで鼻で笑われます。
私の力ではどうにもできない、何も言えない、悔しい日々でした。
翌年の春から養護学校や母校での
教育実習も控えていたため
4月までには内定が欲しい。
これは練習するしかない!と思って
片っ端からエントリーシートを提出し、
面接を受け始めます。
会いたいと言ってくださった人には
全部会いにいきました。
その時に業界として1番早く採用活動をしていたのが
銀行以外の金融機関でした。
金融機関特に証券会社で就職活動をしていると
あることに気づきます。
【証券営業は車などのように物があるわけではないものを売る。
そして命の次に大事なお金を預けていただく。】
この得体の知れない
証券会社での仕事に興味が湧き始めます。
さらにアメリカでは弁護士並みの仕事。
映画のウォールストリートが目に浮かびました。
圧迫面接や肩身の狭い就職活動。
いちいちいろいろ言われ、精神的にも参っていました。
しかしある会社での
最終面談の時、役員面談で言われた言葉に衝撃が走ります。
「僕たちは東大でも京大でも関係なく落とすよ。彼らはすぐ辞める。
頭がいいのと仕事ができるかどうかは別。
逆に君みたいに苦労してる人の方が社会では通用するし、君みたいな子が必要なんだよ。諦めないで、頑張りなさい。」
「誰かに必要とされたい!」「誰かの役に立ちたい!」
とずっと思っていた私は、
業種がどうのこうのより
この人とこの人がいる会社で働きたい!
と思ったのでした。
数日後…
「4月にならないと言えないけど、わかるよね?そうゆうことだから。」とその会社から連絡がありました。
その後航空会社や他業種を受けましたが
そこまでの熱意を自分も持てなかったし、感じず💦
結局1番初めに内定をくれた会社に就職を決めます。
私は大学も就職も
不思議と呼び寄せられるかのように
1番最初においでと言ってくださったとこに
いきました。
と、証券会社への就職が決まったところで…
続きはまた次回。
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