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忘れられた景色と祖父のauto110|後編

よみがえったauto110

祖父のauto110を手にした私は、まずは電池とフィルムを取り寄せた。説明書を見たりネットで調べたりしながら、電池を交換した。古い電池はなんだかベタベタしていて触れるのが怖い。完全にキレイにはできないが、内部をちょっと掃除して新しい電池を入れた。
ファインダーを覗いてシャッターを半押しすると、中で露出ランプが光った。すごい、壊れていない。

新品のLomographyの110フィルムも入手。あとは撮ってみるだけ。

ちょうどその頃、「Leicaに恋して」コミュニティの原点となる「葉っぱ展」が開催されようとしていた。カメラが好きな人たちが集まるので、とりあえず持っていってみることにした。そんなわけで、私のauto110でのファーストショットは「葉っぱ展」開催中のHuBaseの外観だった。

2022年6月17日 110で撮ったファーストショット 

40年前の110フィルムの行方

あとは、祖父が残したフィルムの現像だった。すでにいくつかのお店に現像できるか問い合わせたが「古すぎるので現像できない」と断られていた。その話を葉っぱ展に来ていたある人に話していたら、驚くような返事がかえってきた。

「なにも言わずにしれっと出しちゃえばいいんじゃないですか?」

なるほど。律儀な私は事前に「こういう昔のフィルムなんですが・・・」と伝えてしまっていたから、品質を保障できない相手は断るわけで。じゃあ、なにも言わずに出せばいいんだ。ダメだったらダメだったって言ってくるだろう。そんな斬新な発想はなかった!

そんなわけで、若干の不安と罪悪感を抱えながら、40年近く前の110フィルムをしれっと郵送で現像に出してみた。問題があったらメールか何かで連絡があるだろう思った。しかし、特に何もなく、数日後に納品データ郵送のお知らせメールが届いた。現像できたんだろうか?

さらに数日後。届いたネガとデータには、手書きのメモが添えられていた。「一部は劣化のため現像ができなかった」とあった。「一部」ということは、ちゃんと現像できた写真もあったに違いない。

まずはネガをちらっと透かして見てみた。はっきりと像が浮き上がっているのが見える。トリハダが立った。ドキドキしながらデータにアクセスする。誰も知らなかった、祖父が写した景色に会える。

再会

24枚撮りのカラーフィルムは、何十年も経っているのが信じられないぐらい、とても鮮明に写っていた。湿度の低い北海道、誰も使っていない冷え切ったリビングの戸棚の奥。低温低湿で日も当たらず、フィルムにとってはものすごくいい環境だったんだろう。
こちらはかなりプライベートな写真ばかりなので(私以外の親類やその友人などの写真がほとんど)残念ながら公開はできないが、本当にとても鮮明に写っていた。

そしてもう1本、カメラに入ったままだった12枚撮りのモノクロフィルム。こちらは劣化が激しく、写真として見られたのは3枚だけだった。それでも、そこに写し出された景色は、私の心を震わせた。

それは、まさにこのカメラが置き去りにされていたリビングの写真だった。暖炉の上には、あのクラーク像。床に置かれたギターケース。寝室の古いテレビに電灯。

写真が見られた喜びと感動と、懐かしさで、涙が出た。遠い昔におじいちゃんが見た景色。写真に残そうと、記録してくれた景色。誰も見ることもなく、忘れられていた景色がそこにあった。

「私、ちゃんと見れたよ」

失われた景色が教えてくれたこと

数日後、少し冷静になり、ふと考えた。祖父はどうしてこの写真を撮ったんだろう。私も趣味で写真を撮るけれど、わざわざ自分の家の中を撮ることはあまりないような気がした。

もう一度写真をよく見てみる。部屋の奥やテーブルの上には段ボールが積み重ねられている。不自然に床に置かれたギターケース。テレビの横にもダンボール。左手前に写り込んでいるのは人だろうか、祖母だろうか。
祖父母はとても綺麗好きだった。日常の景色にしては、とても雑然とした雰囲気だった。

ここからは私の想像になるが、きっとこの家から引っ越す前に、祖父はこの家の景色を、このカメラで残したのではないか。雰囲気から見て、引っ越し前日とか当日とか、かなり直前だったのかもしれない。
12枚のモノクロフィルムに、みんなで暮らしたこの家の景色を閉じ込めて、そしてカメラを置いていった。これはきっと、お別れの景色だ。祖父はどんな気持ちで撮ったんだろう。この日、幼い私もこの家にいたはず。私は何を知っていて、何を思っていたんだろう。

真相はもう誰にもわからないけれど、40年近くの年月を経て祖父が残してくれた景色に再会できた喜びと感動は格別だった。この景色も、auto110も、かけがえのない宝物になった。

この家を去った祖父は、その約10年後に他界した。その間、私が祖父に会えたのはたった2回だった。写真はたくさん残っていても、私は幼すぎて、思い出の記憶があまりない。それでもあの家で一緒に過ごした時間はたしかに存在したことを、写真は教えてくれる。

Lomography Magazineの取材を受けて

Lomographyのサイトには、ユーザーが写真を投稿できるマイページがある。110の記録のために、SNSにアップしていない写真も含めて、私は110で撮った写真をほぼすべてLomographyのページにアップしていた。(現在は110に限らずフィルムで撮った写真全般をアップしている)

そんなとき、2022年8月北海道で撮った写真をまとめたアルバムについて、公式マガジンのライターさんから問い合わせがあった。興味深い写真なので、ぜひ記事にしたいとのこと。
いろいろと質問を受けているうちに、auto110との出会いのエピソードに少し触れたところ、とても興味を持ってくれ、思いのほかしっかりとした記事にまとめてくださった。
全編英語の記事ですが、読んでくださったらうれしいです。

Hokkaido Through An Heirloom 110 Camera

auto110の物語。読んでくださってありがとうございました。

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