私と母とファッションと。
このnoteについて、書かなきゃな書きたいなとずっと思っていた。ぽたまるさんとお出掛けした際にも、さやさんとアヅマさんの素敵な本を読ませていただいた時も。
そして、この間久しぶりに実家に帰った時に私の手元を見て「その指輪の組み合わせ、変だよ」と言われた時に「ああ〜〜!!!思い出した!!!これだ!!!」と落ち込みと怒りと悲しみと色々な感情が渦巻いたので、そろそろ腹を括って書いてみようと思います。
私は横浜市内の比較的のんびりした土地で育った。一方、母は都内出身。
私は体力がなくて、母は波乗りと山登りが趣味の体力お化け。人として全然違うタイプです。
肌は常に小麦色、髪の毛は金髪で童顔。本当、全然違う生き物……
そして、母は友達も多くて凄く頼られるタイプ。
方や、私は友達が少ないタイプ。ここもめっちゃコンプレックスだった。
母は50歳を過ぎても尚、小中学時代の友達や高校、趣味、ママ友がたくさんいて予定が埋まりがちで、でも物事をハッキリ言う万人受けするタイプではなくて、どちらかといえば八方美人な私は友達が少なくて家を出るまで比べて落ち込んでいた。(今は開き直っています)
子を産み育て始めても母との差を感じるばかり。母は高卒なのだが物知りで母に質問して知らないって答えられたことがないし、適当な嘘を言われたこともない。そして、自分が高卒だからこそ、これからの子供である私と弟には大学まで行ってほしい、と家計のやりくりを頑張ってくれた。私は母のおかげで短大を奨学金ではなく卒業できたのだ。それについては純粋に感謝している。
娘である私を愛情いっぱい(そして、過干渉気味)に育ててくれた人だ。だからこそ、自分が出産した時、母性を感じず絶望した。娘のことは可愛いとは思うし大切な存在なのは間違いないのだが、母程愛情を注げるかは疑問だ。そこは私なりに無理しないで頑張るしかないな、とは思っている。
そんな母はめちゃくちゃおしゃれだ。
最近会ったらTスマイルの新しい大きさのネックレスしていました。とっても似合ってたよ。
おしゃれの楽しさを教えてくれたのも確かに母なのだが、自分をダサイ、自分のセンスはダサイ、と思い込ませられていたのも母の影響だった。
母のファッションスタイルはアメカジ。
トップスはシャツやパーカー、デニムを毎日履いていて、足元はスニーカー。夏はビーサンだし、秋はローファー、冬はムートンブーツ。
耳にはカルティエのラブピアス、ネックレスは地金の物を重ね付け、指輪もティファニーやら何やら沢山、手首にはオーダーしたバングル、文字にすると過剰に見えるけど、着用している母にはとても似合っている。
靴と鞄が大好きでよく購入している。そんな母だ。
なので、私は自問自答ファッション講座(後で説明します)を受けるまでデニムしか履いてこなかった。
色々な素材があることは知っていたが自分にはデニムしかないと思っていた。アメカジっぽい格好をすれば母に何も言われないから、母が褒めたアイテムを買い、母のコーディネートを真似て、かわいいね、と褒められる格好をしていた。
パーカーにスキニーパンツ、ハイカットのスニーカー、背が高くてなんでも大概似合うから似合う。でも、自分では何が好きか分からなかったんだと思う。もう20年以上そう生きてきたから、母が好きそうな服を買うことがスタンダードになっていた。
母に認めてもらえないことが一番悲しくて自信がなくなり、心の奥の弱いところがギュッとなる。だから、手っ取り早く服は母に選んでもらうことが多かった。
社会人になるまでほぼ毎日母に選んでもらう、または、母が以前提示した組み合わせを着るで何とか過ごしていた。
母の元で過ごしている時はそれはそれでも問題はなかったのだが、今の旦那と付き合い、同棲をすることになった時にとても困った。
自分軸のない格好をしているので、クローゼットの中は服が溢れているのに着たい服がないし、何を着れば良いのか分からない。
自分で服を選んだ日には家を出たら服装が間違ってた気がしてソワソワしちゃう。
服を選ぶのに時間がかかり、遅刻を繰り返す。
そういうのが嫌でミニマリストや制服化というのに憧れを抱いた。沢山服を持たないで制服にしてしまえば(スティーブ・ジョブズみたいに)朝悩まなくて済むんじゃないか。と。
この時点では自分の好きな服という概念もファッションを楽しむということもよく分からなくなっていた。
そういうメソッドをネットの海で探していた時に出会ったのが自問自答ファッション講座だ。
ミニマリストや制服化をあげているスタイリストさんの中では異色な考え方であきやあさみさんが自分の内面に合う服を着て制服化をし、人生も満足しちゃいましょう!(意訳)ということだ。
最初は疑心暗鬼だったけれど、どうやら自分の好きな服で自信を回復したり前向きに生きられる人もいるらしい。講座を受けた方の感想noteを沢山読んでみた。ご本人の発信も沢山読んだ。
その時思い出したのだ。実はモードっぽい格好がしたかった。ずっと好きな雑誌はVOGUEやELLE、GINZAやSPUR、FIGAROだった。ただ、この雑誌に出てくる服やアイテムはあくまで自分の物にならない煌びやかな世界のアイテムだと思っていた。
もしかしたら、そういう服装になることの第一歩になるのでは?と他力本願ではあるのですが、講座を受けてみようと思い立ちました。
講座を受けた感想は別noteでもまとめたのですが、兎にも角にも目から鱗で私はダサくなかったのか!?とかわいいですよ♡と優しいあきやさんのお言葉、自信持ってください!素敵な世界観を世界に発表しましょう!と背中を押されて、徐々に好きな格好やスタイルを発信すること、着ることに抵抗感がなくなってきました。
その辺のことは、私のファッション遍歴をまとめたnoteが一番、ファッションの流れについてわかりやすいと思う。ので、もしよかったら……
子供を産んでから分かったのだけれど、当たり前に親は違う人間。何なら、私と母は同じ学年でクラスメイトだったら話さないタイプだと思う。
だから、色んなことに対して違うわけで。だからこそ、私が間違っているわけでも母が間違っているわけでもなくて。
そして、センスについての言及は母としては全く悪気はないわけで(悪気がないからこそ悪いのだけど)何ならアドバイス、なつもりだ。
もしかしたら、ファッションセオリー的にはそれが合っているのかもしれない。でも、自分が好きな服を自信持ってきて、背筋伸ばして生きたいよ。
自問自答ファッション講座を受けてから、母親との関係やら何やらがそもそもファッションの悩みのスタートであることに気が付いた。
あまりにも自分と母親を同一視……というか、自他境界が弱かったのだと思う。
未だに母親にファッションについて言われると自信を持って選んだことでも落ち込む。でも、昔ほど引き摺らなくなったし、貴方はそういう方が好きなんですね(私は違いますが)の気持ちを持てるようになってきた。
まだまだ、何か言われたら、落ち込むし、ぐるぐる考えてしまうと思う。
でも、少しずつ前には進めている。
出来れば私は娘にはファッションの楽しさだけを教えてあげたい。
でも、これ自体エゴだし、違う人間だからな〜!私の屍は越えてゆけ、としか言えないな〜。
女はまだ2歳なのにこの服は着たくない!とか、今日の靴は青!とかとても主張があるタイプなので、それはそれで楽しみです。