【 観念的な絵は人の心を打たない 】
学生の頃、芸大&美大の彫刻学科入学を目指して、
予備校でデッサンや彫塑を習っていた。
そこで教えてくれた丸山先生は、
いつも口癖のように
「ちゃんとドキドキして描いてる?」とか
「このデッサンには、ドキドキがあるね!」とか
「このデッサンには、ドキドキがないからダメだよ。」とか
言っていた。
どういうことかというと、
描こうとする対象物(人物とか石膏像とか鳩とかウサギとか…)を
観念的に頭で捉えて描くんじゃなくて、
自分のハートを開いて、対象物を純粋な心で感じ取りながら描く必要があるということ。
観念的に頭で考えて描いたものは、対象物を見ているようで見ていないので、
立体感とかあったとしても金属的で硬い(ある意味つまらない)デッサンになる。
それに対して、
自分のハートを開いて、純粋な心で捉えて描いたものは、
たとえ、モノクロのデッサンであったとしても、魅力的だったり美しかったり、
人の心を打つデッサンになる。
自分の気持ちを通しながら描くので、それを丸山先生は「ドキドキ」と表現してたんだと思う。
それこそが自分の作品。自分にしか作れない作品となるのだから。
正しくあろうと正解を置きにいくんじゃなくて
間違った線も含めて、
人が持つ感覚の揺らぎをその都度線として置いて紡ぐからこそ
人の心を打つ絵が描ける訳で、
これはAIには出来ないと思うのです。
ほいで、です。
今、仕事で組織開発をしていて、
組織の変革が上手くいくか、
揺り戻しが起きて上手くいかないか、、
この違いも、
「観念」か「純粋な想い」かが、大事なポイントなんですよね。
(*ロバートフリッツの教えを、私なりに解釈してます)
人や組織や仕事を、
観念的に「こうすべきもの!」「こうせねばならぬ!」という思い込みで
進めようとしても、それは、周りの人の心を打たないから
巻き込まれない(エンロールされない)のですよ。
*たとえば、「社長がこう言っているから、やるべき。」とか
一番モチベーション上がらないやつ。。。
その人が、心からこうしたい!と純粋に願い、真っ直ぐに取り組む姿は
人の心を打つし、応援したくなったり手伝いたくなったり、一緒に頑張りたくなりますよね。
今日のクライアントとの打合せは、そんな担当者さんとの打合せで、
ちょっと心打たれて泣きそうになった。(てか泣いた)
人事担当の方
「私なんてこの会社しか知らないし、これであってるのかもわからないんですけど…」とか言いながらも、社員とこの会社が大好きで、本当に想いを持って一つ一つの仕事を愛情たっぷり考えながらクリエイティブに仕事しているのが伝わってくる。
こういう会社、こういう人、増やしていきたいんすよね。
*写真はグラフィックファシリテーション・プロコースの合宿でいろんな描き方をした自画像。みんな左手(利き手じゃない方)で描いた絵が一番心を打つ絵になっている。