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「完璧な被害者」であることを求められるこの社会で

広河隆一氏が、性暴力やパワーハラスメントを告発された問題について、昨年12月26日に公表された「デイズジャパン検証委員会」報告書に対し、私たちの団体、Dialogue for Peopleでも声明を発表しました。

まずは被害に遭われた関係者の皆さんが、少しでも心身ともに回復されることを願います。報告書では広河氏やデイズジャパンといった個人、個別の問題を越え、性暴力やパワハラの問題に対しての根強い「偏見」を浮き彫りにしたように思います。

▼なぜ被害後も加害者に接触するのか

検証報告書では、被害に遭った後もボランティアを続けた女性の証言が掲載されていました。「被害に遭ったなら加害者と一切接触しないはずだ」。被害者の振る舞いにはこれまで、そういった声があがりがちでした。

先日の伊藤詩織さんの民事裁判でも、事件後に伊藤さんから「無事にワシントンに戻られたでしょうか?」と山口氏を気遣うような内容のメールを送っていたことが争点の一つとなりました。山口氏側は「強姦の加害者に発信する言葉がけとして通常あり得ません」と主張。これに対し伊藤さんは「全く何もなかったように過ごすのが自分の身のためなのではないかと思った」と証言しています。

そして判決では、「被害者が事実を受け入れられない状態で、日常生活と変わらない振る舞いをすることは十分にあり得る」、としています。

広河氏のケースでも、被害に遭った女性たちが、体調不良の広河氏に対して気遣うようなメールを送っていることが分かっています。ただ被害女性の一人は「(パワハラを繰り返す広河氏を)爆発させたくなかった。少しでも上機嫌に事務所に来させるための布石だった」と振り返っています。

こうした振る舞いはどれも、被害者が自分自身の心身の安全や、その後の生活をまもるためにとらざるをえなかった態度だったのでしょう。

西日本新聞の記事でも触れていますが、2011年に厚生労働省から全国の労働局に出した通達の中で、被害者には、勤務を継続したいなどの心理から加害者に迎合するメールを送ったり、誘いを受け入れたりする特徴があることが指摘されています。

▼なぜ時間がかかるのか

2018年12月の文春記事をはじめ、これまで明るみになってきた被害には、10年近く、あるいはそれ以上前のケースも見受けられます。なぜ、これだけの被害がありながら、長年明るみにならなかったのでしょうか。

被害者の中では「ずっと自分のせいだと思っていたけれど、私だけではなかったのだとわかりました。10年の月日を経て、もう終わりにしよう、とようやく声をあげることができたんです」という証言もあります。

心身やその後の日常を守るため、本来はそうせざるをえない状況だったにも関わらず、「自分が悪い」と、それを自ら選んだかのような罪悪感にさいなまれている被害者は少なくないでしょう

英オックスフォード大などの研究チームがまとめた調査によると、「望まない性交」経験者の約2割が、それを本人が被害と認識するまでに10年以上かかっていたとしています。

そこから「声をあげていいんだ」と気づき、誰かに相談できるようになるまでには、さらなる年数がかかるはずです。実際、内閣府調査によると無理やり性交などをされた経験のある人のうち、警察に相談した人は男女合わせてわずか3.7%にとどまっています

これほど時間がかかる、ということは、それだけ長い間、たった一人で被害経験を背負い続けなければならない、ということでもあります。

▼被害者は「笑わない」のか

伊藤詩織さんの民事裁判の判決後、山口氏は記者会見で「性被害にあった方が『(伊藤さんが本当に被害にあっていたら)記者会見で笑ったり、堂々と公表したりすることは絶対ない』と証言してくださった」と発言しています。

こうした発言は、被害に遭った人たちはずっとうつむき、隠れるように生きなければならないのだと、押し付けることにもなってしまうでしょう。そもそも、笑ったり、公の場で証言できるまで、どれほどの苦しみがあったかに対する配慮が全く感じられません。

昨年韓国では、随行秘書のキム・ジウン氏に対する性的暴行の疑いで起訴されたアン・ヒジョン前忠清南道知事に対して、韓国最高裁が判決を下しています。この中で、暴行・脅迫など物理的力がなくても、政治・社会・経済的地位や権勢などを利用した性暴力があることが明確に指摘されています。

さらに、これまで誤った「被害者らしさ」という基準で、性暴力の判断がされきたことにも触れているのです。

「加害者には接触しないはずだ」「なぜずっと黙っていたのか」「被害に遭ったら笑えないはずだ」…そんな声が周囲で上がる度、作り上げられた”完璧な被害者像”に被害者は追い詰められてきたはずです。これのどれか一つでも当てはまれば、自分は「完璧な被害者」ではないから、声をあげてはいけないんだ、と思わせてしまうことにもなりかねません。

▼偏見を助長するもの

そうした偏見を助長するのは、相次ぐ誹謗中傷だけではありません。例えば広河氏のケースでも、彼に審査員を任せたり、つまり結果として彼に「権威」を与えてしまった側からの声は、「デイズジャパン検証委員会」報告書発表後もほとんど聞こえてきません。

「沈黙」は「中立」ではありません。沈黙によって、具体的な改善の機会を逸してしまうかもしれません。自分たちの声を無視している、と声をあげた被害者たちを傷つけるかもしれません。

立場の違いを利用した性暴力やハラスメントは、残念ながら現在進行形で起きてしまっています。

だからこそ改善できる立場にある組織などが、こうした問題から静かに離れたり、沈黙したり、なかったことのように振舞うのではなく、暴力を防ぐための具体的な意思表示と対策をとることが今、改めて求められているのではないでしょうか。

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