お調子者の実は過酷だった今までの人生④
『サークル活動について』
大学入学後、約5000人所属しているダンスのマンモスサークルに入って、ブレイクダンスを始めることになった。同期のほとんどはは経験者。僕は初心者。明らかに実力が天と地ほど離れていた。
正直、仲良くしているだけでは上手くならない。勝つことはできない。だから、下手でも4月からずっと学生限定のバトルに出ることにしていた。負ける度にその悔しさ、反省を込めてめちゃくちゃに練習した。
バイト〜授業の終わりに毎日地道な基礎練習。やりたい技の練習をしてきた。
メニュー
〜フットワーク〜
①6歩 50周
②3歩 50周
③2歩 50周
④CC 50往復
〜パワームーブ〜
①倒立旋回
②2000の練習
③ウィンドミル
④スワイプス
⑤エアー
ネタ作り
これを1年半続けても、あまり結果がついて来なかった。というより、周りの同期も練習しているわけで、そりゃ、距離は縮まらなかった。
そこで、今では僕の師匠であるBGIRL ERI FeNeSiS さんのレッスンに通うことにした。
それから、僕のダンススタイルも変わっていった。そもそもTOPROCKという概念が無かった僕に基礎から教えてくれた。そして、音楽が好きになった。
それからTOPROCの練習に加え、レッスンの復習も加え、練習の内容が濃くなっていった結果、徐々に勝ち進むようになっていった。
ここで余談なのだが、僕は誰かにあーだこーだ言われてやりたい技の練習を辞めていたら、ダンス自体辞めていた気がする。理由は、あのできるようになった瞬間の喜びに麻薬のような中毒性があるからである。今でも、自分のダンスがつまらなくなった時、新しい技の練習を取り入れている。
年月が過ぎ、後輩ができ、自分達が執行代になった時に、僕は自分が所属しているジャンルのリーダーになった。これは、今までの行動力、挑戦、練習量のおかげだと思う。
僕らの執行代から練習の質を変えて、7月から11月まで学祭に取り組んだ。夏合宿は恐らく今までで1番きつくて、皆がヒーヒー言ってたのを覚えている笑
これが僕らの代の最高傑作。
今でも自慢できる作品で、あの頃の無意味と言われる深夜練も、意味ができたと思う。お金なんてもらえないただの青春。学生最後の青春。
帰省して、仲間に会って曲がかかったりすると振りを踊り出しちゃったりして、身を削ってたけど楽しかったなって思える。
今、団体の中でリーダーになりたいとか思っているなら、同期が自分を認めてくれるような、後輩が何も言わずして付いて来てくれるような先輩になろう。社会に出ると、そんな先輩の方が少なくて、自分でどうにかしていかなきゃいけなくなるのだけど、学生のサークル内だったらまだ大丈夫だから。
方法は、練習量、質、挑戦だと思う。口だけのやつには誰も付いてこないから。挑戦して結果が出なくても、経過を見てくれる同期、後輩は必ずいるから。自分を信じて、前だけ見つめてれば、何とかなる。
僕もまだまだ突き進んでいこうと思っている。