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不登校になって数年後の現状
こんにちわ、不登校2人と予備軍1人の父、ナツキのパパです。
最近、FacebookのメッセンジャーやtwitterのDM等で、「最近のお子さんやご家庭の雰囲気はどんな感じですか?」と聞かれる機会が数件ほど続いています。
年度末の卒業・卒園シーズンを迎えて、子どもの進路が不安になったり、他の不登校の家庭はどうなのか気になってしまう時期なのかも知れませんね。
そこで、僭越ながら一例として、積極的不登校(というのか)の息子がいる我が家の現状をご紹介したいと思います。
1.長男の不登校レベル
4月から小6になる長男は、完全不登校になって3年が経ちますが、一切の迷いもなく4年目に突入する感じです(笑)
学習指導要領に記載された内容を机に向かって学習するという意味で、勉強は一切していません。
なんなら掛け算九九が怪しいレベルですが、日常会話やコミュニケーションに困る事もなく毎日switchとiPadを相棒に楽しく暮らしています。
ちなみにオンラインゲームでのボイスチャットや、LINEのオープンチャットで外との繋がりやコミュニケーションがあり、ボクが驚くよな語彙や雑学を知ってたりします。
また、最近はiPadのアプリ(ibisPaint)を使ってお絵描きとかもしてるらしいけど、「見せるよなモノではない」と見せてくれません。なんとか見せて貰えないかと作戦を考えています。
2.次男の不登校レベル
4月から小2になる次男は、入学して直ぐに行き渋りが始まりました。
1学期の内から毎日は行けず、本人との話し合いから隔日登校というルールになるも、登校日の朝に結局休んだりと五月雨登校を続けながら年末を迎え、年が明けてからは遂に、というかようやく完全不登校になり、予備軍から1軍に昇格しました(笑)
正直、休むたびに学校に電話したり連絡帳を届けに行ったり面倒事でしたので、どうせ行きたくないならですが完全に明言された事で解放され楽になった点もあります。
基本的に兄と同じくゲームと動画視聴ばかりですが、音ゲーの為にPCを使ったり、タイピングには興味があるのと、低学年のうちの読み書き計算の基本だけは結構大事だよ〜という父の声は彼なりに届いてるようで、乗り気ではないながら申し訳程度にプリントとかやったり。
3.長女の不登校レベル
4月から年長になる長女は子ども園に通っているのですが、既に完全不登校になる前の次男状態で、隔日登園を彼女の口から明言され、これも同じく当日の朝に今日は休むといったり五月雨登園な感じです。
娘曰く「こんかんこんかんッ!(行く日と休む日は交換交換!)」との事で、今日は登園するかと確認すると、「ルールにしてるから口出さないで!!」と感じで主張してきます。
まぁ、3人ともこんな感じで、ゲーム&動画漬けの部分はありますが、下2人に関しては公園に行きたいと頻繁にせがみ外に出て体を動かすのも好きなやうで、まぁ、人並みに兄弟喧嘩をしつつ平和で幸せな毎日を過ごしてます。
親の不安や悩みはあるか?
こんな感じなので、不登校のお子さんを持つ方や知り合いからは、「親として複雑な気持ちはないか?」と聞かれる事もあります。
そもそも「複雑な気持ち」という表現がすごく抽象的な問い方だなと思いますが、きっと何か具体的に思い浮かんだ点がある中で、でもこちらに配慮して直接的な言葉を避け、言葉を選んだ結果なのだろうなとか思います(笑)
さて、質問の言葉に含まれた意図としては、おそらく学校に行ってない事への固定観念からくる「不登校」という事実への抵抗感とか、勉強の遅れに対する不安とか、進路等の将来への不安とか、親子関係とか、そういった事だろうなと予想します。
ちょうどひと月前に「3年目の決意表明」として書いた投稿でも触れているのですが、そういった意味での不安は、今のところ特にありません。
もちろん、他にもコミュニケーションの機会とか、集団生活における規則やルールへの順応とか、学校で学べることや通学する事の恩恵は勉強意外にも色々ありますし、義務教育云々の話も分かりますが、まぁそれらも含めて、親としての希望とか理想とかはあれど、大きな不安や悩みは特にありません。
不登校に対する考え方
あくまでも現時点での考えですが、彼らの人生は彼らのモノで、彼らの将来や生き方は彼らが選択すればいいと思っています。
また誤解を恐れずにいえば、彼らの人生の責任は本人のモノだとも思っているので、望むことがあれば応援してサポートしようとは思いますが、合わない・望まない事であれば無理にさせる事なく、好きなようにさせようとも思ってます。
今の時代、それが間違いだと他人が断言できるエビデンスはないでしょうし、もちろん旧態依然とした社会システムにおいて不登校であることの不利益も苦労もあると思います。
ただ、不登校によってそれらの不利益や苦労が生まれるのは社会制度やシステムに問題があるのであって、今の学校教育やシステムに合わない彼らに問題があるのではないと考えています。
なので、彼ら自身が望むなら彼らに合った生き方として彼らの選択を尊重しようと思います。
もちろん不登校という選択の結果として(不登校じゃない人より)不利益や苦労があるであろう事、今のボクに考えられる範囲のリスクについては、子どもには難しく理解しにくい話だとも思いますが出来るだけ伝えようとは思います。
そうして不利益を伝えた上で彼らが選んだなら、その結果については、それも自分の責任だよと伝えているので、厳しくても受け入れて貰おうと思っています。
逆に、ボクの考える方向で頑張らせて苦労した場合に、その責任はとれませんし、他人に決められた結果は、自分で決めたことの結果より受け入れにくいとも思うので。
※しいていえば、適性や特性の領域による主張と、子どもの甘えや親の怠慢といった精神論の線引きや見極めに関して議論したい人もいるだろうし、現に妻との間でさえ価値観の違いでズレて話し合いになる事もありますので、その回答にはより具体的な説明が必要な部分だと思います。が、それでもかつての精神論の根拠には妥当性を欠く印象はあります。
自己肯定感について
また、不登校になる児童・生徒に関する悩みや問題視する方の話で結構よく出てくるキーワードの1つに、「自己肯定感」がありますよね。
ただ、自己肯定感の話になると、割と頭の中や話し合いの場がややこしくなりがちという印象があって、それは大抵の場合、自己肯定感の意味に対する認識のズレがあるからじゃないかな?とも思っています。
なので、この「自己肯定感」というモノの意味や考え方についても、主観ではありますがボクが思うところを書き添えておこうと思います。
※現時点でボクは、自己肯定感について次のような意味だと考えて(認識して)います。
◎自己肯定感
「自分はできる」と思える心(可能性を前向きに捉える思える心)ではなくて、
「できなくたってそれが自分だ」とあるがままの自分を(否定的ではなく)肯定的に受け入れられる心。
自分は出来ると思える心は、どちらかと言えば自分を信頼する気持ち=自己信頼感とか、自己効力感の事かなと思います。
もちろん自己信頼感・自己効力感も大事ですが、前向きに捉える力(ポジティブさ?)を肯定感としてしまうと、成果が出なかった時は否定感に繋がる事になってしまうので、意味としては違うのかなと思っています。
だから、仮に成果が出なくてもそんな自分も否定せずに胸を張れる、成功という形にならなかった場合でも前を向いたまま歩いて行ける、というのが理想で、そこにあるのが自己肯定感だと思っていて、だから出来なくたって自分を否定しなくていいんだよ、そんな貴方でも素敵なんだよ愛してるよと伝えることが、自己肯定感を育てるという事かなと考えています。
自己選択を尊重する
自己肯定感の意味について書き添えたのはこちらが本題ですが、学校にいくかどうか、不登校が良いか悪いかを考えるにしても、大事なのは自己選択、自分で価値を選ぶことかなと思っています。
自分が必要とするモノに価値があり、必要なモノを自分で選ぶということ。
だから自分で選ぶ事に価値があり、その自分の選択を認める事、という考え方。
だから自己肯定感というのも、その自己の選択を他人に否定されないこと、受け入れて貰える事で育まれていくのではないか?と思います。
もちろん、自分で何かを選択するには、そもそも選択肢の数や種類、前提の材料や知識は必要だし、彼ら自身に任せるにはそれらの前提が当然不十分なケースが多いという考えもあると思うので、その為の「種蒔き」だけは他人であっても親としてしなきゃとは思います。
でも、それも本人が必要と思わないうちは効果も薄いだろうし、与えてすぐにその種の芽が出るとは限りません。というか直ぐに芽が出るとかストライクゾーンに刺さる可能性の方が低いと思いますので、種まきではあくまでも結果を求めるのではなく、いつか芽が出れば良い、どれかが芽が出れば良い、くらいに考えて、気負わずにサポートだけしてればいいかなと。
どの種が芽を出すかは本人次第で、芽が出たなら一気に花開くように育つこともあるのではないかなと思います。
※こうして書いてるけど実践できてるかといえば怪しいモノです…。(常に反省しきり)
不登校の子どもに対する親の責任
教育を受けさせる義務の話とか、将来への不安とか色々な面で思い悩む親御さんも多いと思いますし、前述の「種蒔きして応援とサポートだけしてればあとは自己責任で選択させればいい」というのは、もちろんそれで上手くいくなんて保証もないし、無責任な親だと思われるかも知れません。
また、細かい点について個別に話すなら教育の義務は「学校に通わせる義務」ではないとか色々と論点も考え方もありますが、今回書いたのは不登校の正当性とかそんな話ではありません。
親にできることや大事なことも沢山あると思います。
ただ今回書いたのは、冒頭で書いたようにあくまで「子どもが不登校になった家庭のその後」の一例として、こんな家庭もある、こんな親もいる、こんな考え方もあると、どなたかの参考になれば良いなと思います。
言ってみれば、当面の我が家の方針というか、我が家の「流儀」なので周りからなんて言われようと関係ないとも思っていて、楽しく過ごしてますよ、という事です(笑)
子どもも笑って過ごしているし、それでいいかな、と。
子どもにどう生きて欲しいかはあっていいけど、どう生きさせるかをコントロールはしない。
ただ、必要なサポートをするには、子どもに対する共感と観察を忘れないこと、そしてどう生きて欲しいかとか、伝えたい事は言葉ではなく、親の行動で見せようということ。
人生の楽しさや楽しみ方は、自分たちが楽しそうに見えなければ幾ら口で言っても子どもには伝わらないと思うし、親が思う以上に子どもは親の姿を見てるし、特に小さい頃は世界の見方も親を通して見える部分、影響も大きいと思うので、勉強だとかコミュニケーションの大切さとかも、出来るだけ言葉より自分の姿で伝えようと思います。
子どもへの共感と観察を忘れないこと。
そして、自分自身の生きる姿で伝えること。
まぁ、これはまだまだ出来てなくて、足りてなくて妻を見ていて反省する事しきりですけどね(汗)
※その他、不登校の子を持つ親として感じた事などを書いた投稿はこちらにまとめていますので、ご興味があればご覧ください。
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