遺書No.151 美術館の歩き方。
※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。
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2004.12.4
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「絵が好き」というと連想されがち。
あまり大声でいう事でもないし、
自慢する程のモノは持ってないのだが、
実は私、結構絵が好きだったりする。
書くのも見るのも。
だが、造詣が深いだとか腕に覚えがあるとか、
そういう事では決してない。
むしろ、残念ながら(悔しい事に)私には、
大袈裟にも優れた絵心があるとはいえない。
それでも好きなのだ。
で、なぜ冒頭で「大声で言うことでもない」と、
わざわざ前置詞を置くのかと言えば、
もしも私が場を選ばずに、
『俺、絵が好きなんだよねぇ~』
なんて言葉をうっかり使ってしまい、
もしもその場に「絵に通じた人間」がいたなら、
『へぇ~。やっぱ油絵とか、そういうの描くの?』
とか、
『へぇ~。抽象画とかですかねぇ?
写実やバロックはどう思う?
ねぇ、誰が好き?』
なんてつっこんだ話をしてくる人がいるかも知れないじゃないですか!
まぁ、別にいんだけどね?
ただね、書くのも好きだが、見るのも好きな私が、
そう思うのは1つ。
この『見るのも好き』という部分が、
多分に余計な緊張感を与えてしまうからだ。
なぜなら『絵を見るのが好き』というのは、
えてして・・・いや、
取りも直さず『絵を見る目がある』ということだなと誤解(連想)されがちだからです!
私は、絵を見るのが好きなのであって、
絵の善し悪しを語れる程知らないし、
通じてもいない。
分かる事といえばせいぜい、
個人的な感受によって
その絵が何らかの刺激を与えるか与えないか、
という程度の事だ。
さて、例によってここまでは前置き。
今日こんな事をかきだしたのは、
次のことを書きたかったから。
美術館で凡夫が感じる空気感。
前記の通り、私は絵を見るのが好きだから、
旅行先なんかで美術館に足を運ぶのも、
意外にも好きだったりする。
別に「ルーブル」だの「バチカン」だのと、
大層な名前でなくても良いのだけどね。
んで、以前にフランス行った時の話。
私はルーブル美術館に初めて足を踏み入れ、
素人っぷりを存分に発揮しながら、
そして感動しながら見て回ったんだけど。。。
まず、美術館て~のはさ、
少々静まり返った建物内を、
「カツーン、カツーン・・・」
なんつって足音を響かせつつ、
ゆったりと歩く風景画浮かぶよね?
ところがルーブルともなると、
まず最初からして観光客の多さに少々面食らう。
まずチケットを購入する訳だが、
そのホールが既にビビル程の人の数よ(笑)
ま、すごいっつっても平日だったから5~60人かな。
んで、やっぱり人が増えれば、
どことなく誰と無くガヤガヤしてる訳よ。
あぁ、偉大なるルーブルの館内でもガヤガヤ。
ちょっとガッカリするやん。
ただ、適当に歩いてると、
不思議と人はまばらになるようで、
次第に視界に移る人間は2~3人になる。
ホッと一息なとこだ。
おっと、話がずれた。
そして、本題はここからだ。
改めて場内を見回すと、気付くんですよ。
みなさん、まるで勉強してるみたいに、
ほぼ例外なく真面目な顔で、
1点1点作品を鑑賞してるんよね?
(まぁ当たり前の事といえるが・・)
ただ、大いに気になる部分がある!
なぜか全員がさ、
まるで美術評論家のような顔をして、
ややインテリぶった気配を醸し出すの。
これがおもろいとこよね。
なぜ人は、美術館に赴くと、
妙に生真面目な顔をし、
普段しもしない腕組なんぞして、
「ふむふむ」なんて表情を作ってしまうのか?
勿論、これは私も例外ではない。
いや、私だけか?皆は自然なのか?
いいやそうではない筈だ。(反語表現)
自分では出来るだけリラックスして、
自分の自然なスタンスで、素直な気持ちで、
そこにある美術品や絵を見ようと心掛けているのだが、
いざ館内に足を踏み入れると、
知らず知らずのうちに、
やっぱりインテリぶった顔の私がいるのだ!
さらに!
本当は何の含蓄もないくせに、
「ほほぅ・・なるほど・・・これは・・」
なぁんて、なにも分かってないくせに、
分かったような顔すらしてしまう。
さらにさらに!!
見るからにミーハーな興味で訪れたであろう方が、
例えば二人連れのおばさんなんかが、
絵の前で的外れな事をおしゃべりしていようものなら、
「ったくもう、しょうがなぃなぁ~、学のなぃ田舎者は・・・」
なんてな具合に、
心の中で貶めてしまったりもする。
(※それはおまえ(自分)だろ!!!)
そう、よくよく考えて見れば、
貶められるべきはそのおばさん達ではなく、
彼女達と同レベルのくせに、
さも分かってる風を装う、
インテリぶった自分自身に他ならない!!
・・・ない?あるよね?
しかも、、おもろいのは何も、
そんなインテリぶった自分だけではない。
一度こんな事を考えだしてしまうと、
さらなる笑いの壁にブチ当たるのだ!
困ってしまうのだが、
「インテリぶった顔してしまう自分がおかしい!もっと自然体でいいじゃなぃか!」
なんて考えては見るものの、
今度は次なる困惑に襲われるからだ。
じゃぁどんな顔をして見たらよいのか問題。
まさか意味もなくニヤニヤしている訳にもいくまぃ。
それではただの変な人だ。
絵が好きで見にいった以上、
まさか不機嫌な顔をして、
ひねくれた見方をしても意味がない。
かといってマジックで貴族風な髭をかいて、
バカボンのような面持ちで見ている訳にもいかない。
いや、自分がそれで良いならそれでといいが、
流石にそれは恥かしいと感じる感性はある。
というか、それでは全く趣旨からずれている!
つまり、真面目な顔もだめ、
不真面目な顔もだめ、となってくる。
自然に普通の顔で見れれば一番よいのだろうが、
この『普通の顔』というのが、やたらと難しい。
特に美術館の館内で普通の顔をしているというのは、言うは易し!
実際に試みると、非常に至難の技である。
周囲の雰囲気がそうさせるのか、
あのえもいえぬ伝統というか、
芸術家の魂が宿っているような、
館内の空気がそうさせるのか・・・
理由は分からないが、
にわかに顔がこわばってきて、
気が付けば再びインテリ風な顔つきになってしまう。
なんなのだこれは。
頼む、誰か私のような美術に造詣のない、
それでいて美術館が好きな男の美術館での佇まいについて、
最適解を教えてください。
かなり長くなっちゃったな。
かしこ。
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2021.9.16
遺書を書き始めた当時152日目の投稿内容。
今でもこの問いの答えは見つけていない。
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