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老いは現象ではなく認識。
時代劇のような昭和の固定観念から脱却し、
令和の価値観にアップデート作戦中!
こんばんわ、ナツキのパパです。
慢性的運動不足と深刻な肥満が引き連れてきた友人の名は、『老い』だ。
慢性的な肥満化に拍車が掛かり、もはや命の危機感を覚えて適度な運動とやらの必要性も重々承知してはいるものの、少し運動や筋トレをしただけで体のそこかしこに重篤な損傷が発生する為に途方にくれつつ、己の身体的劣化、そして老化を否応なしに痛感させられている。
老化。
その単語を使用するにあたり、年齢的に見れば45歳のボクには、「まだ」早いのではという声もあがるだろう。
だが科学的な検査結果に基づく数値的分析を見れば、肥満の文字とは別に老化の文字もチラつくというもの。
ちなみに、老化とは具体的にどのやうな事をさして言うのか?
無学なボクは気になり、たった今ググってみたところ、『シュトレーラーの4原則』というのがよく知られているらしい。
1.普遍性:すべての生命体に不可避で、自分だけ不老不死を願ってもダメである。
2.内在性:遺伝的にプログラムされていて、いかに環境を改善しても限界がある。
3.進行性:後戻りできないし、若返ることはない。
4.有害性:老化現象は個体に有害であって、有益とは思われない。
つまり、人間は否応なしに老いて死ぬという訳だ。
なんだが、読んでみれば誰もが知ってることで、まさか「そうなの!?知らなかったよッ!」となる人はいないだろう。
・・・とはいえ。
流石にそんな答えに帰結したまま終わるのは、ちょっと寂しいよね。
てな訳で、少しだけ捻ってみる。
まず、老いとは、人々が身体的な変化や能力の低下を体験し、それを「老化」と認識することによって存在する現象だと言える。
具体的に言えば、例えば年齢とともに肌の衰えや筋力の低下を感じることで、老いを自覚する訳だよね。
つまり、老いは単なる物理的な変化ではなくて、個人の認識に依存している、と言えなくもない。
ちなみに、認識とは、人が情報を受け取り、処理し、解釈することだ。
したがって、老いも同様に、ボクたちは自身や他者の身体的な変化や機能の低下を認識し、それを「老い」という概念で捉えてる訳だ。
したがって、老いは単なる生理現象ではなく、意識の中で生まれるものだ、といえるだろう。
もっと掘り下げるなら、老いは個人の意識や社会の期待によっても大きく左右される。
例えば、ある人は年齢を重ねることで知恵や経験を増やし、また新たな可能性を広げることができると捉えるかも知れない。
一方、別の人は老いを衰弱や制限の象徴ととらえ、ネガティブに捉えるかも知れない。
つまり、老いは個人の認識によっても変化するため、単なる現象ではない、という言い方も出来るだろう。
また、老いには生物学的な側面と社会的な側面がある。
あ、AIさんによればね(笑)
どういう事かというと、生物学的には細胞の老化やホルモンの変化によって起こるけど、一方で社会的な価値観や文化が老いの認識に影響を与えることもあるらしい。
例えば、ある文化では老人は尊敬される存在とされ、知恵や経験を尊重されることがあるよね。
このような社会的な要素も、老いの認識に大きな影響を与える要素だという訳だ。
つまりだ。
老いを認識することは、人間の成熟や自己理解の過程にも関連している。
年齢を重ねることで、人は自己の変化や成長を認識するし、その中で「老い」という概念を抱くようになる。
老いは単なる物理的な変化ではなく、人が自己を理解し進化していくための重要な要素なんだ。
そう、老いは単なる現象と捉えるのではなく、認識と捉える事が大事なんだ。
・・・ん?
長々と書いて結局何が言いたかったのかって?
度を越した慢性的な運動不足症はもはや身体を肥満化させ続けただけでなく、やはり老化現象をも引き起こしている事実を改めて認識しました、という話です。
うん、肥満と老化が進行している現実から屁理屈で目を背けようとしたけど、ファクトを覆すには至らず。そんなこたぁ土台無理だったって話だよ。
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