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不登校になってようやく気付けた共感と観察の大切さ。
昭和の固定観念は時代劇ッ!
令和の父親になるべくアップデート作戦中!
こんばんわ、ナツキのパパです。
長男が小学6年生、
不登校になって4年が経ちました。
初めの頃は、何も知らず、
子どもの心も気持ちも分からず、
無闇に追い詰めて、苦しめてしまいました。
でも、誤りに気付いて、
自分が囚われていた固定観念に気付いて、
その不毛さと根拠の無さに愕然としつつも、
本当に大事なモノは何かを学んで、
考えを改めて、数年が経ちました。
心の声に耳を傾けて、
それもしばらくは聞こえなかったりしたけど、
寄り添う気持ちだけは持って、
とにかく無条件に信じてみて、
本当に良かった。
色々と思うこともあり、感じた事もあり、
視野が広がりました。
初めの頃の不安や動揺ではなくて、
観察と共感による新鮮な発見と喜び。
例えばだけど、見え方が変わりました。
ゲームしかしてないように見えても、
YouTube見て笑ってるときも、
実は何かを抱えて考えたりしてるかも。
自分の内側から出る思考や感情を押さえつけず、邪魔をせず、出させて、向き合わせてあげる?
色々な可能性があること。
繊細でこちらの心の機微にも敏感で、
こちらに余裕がない時には、
さりげなく慰めや励ましの言葉を掛けてくれて、
そんな優しい息子でも、
たまにドキっとする程に大人びた発言をしたり、
でも、まだ子どもなんだよね。
甘えすぎちゃいけないけど、甘えすぎかも。
子どもがではなく、自分が。
低学年の頃は、ゲームをしていて、
激しく怒ったり汚い言葉を使ったり、
聞いていて気分が悪くなる事もあったけれど、
もちろん放置が良いという意味ではないけれど、
短絡的に言葉遣いを指摘せずに、
一旦間を置きたい。
もしかしたら、ゲームで怒ってるのは、
本気ではあるかも知れないけれど、
現実に対して何か感じている不安や怒りや、
その他の感情への代替行為かも知れない。
彼なりに必死に自分の中の何かと、
必死に戦ってるのかも知れないし、
ゲームに対して暴言を吐く事でら
自分を鼓舞してるのかも知れない。
だから、すぐに首根っこ抑えて嗜めたりせずに、一旦受け止めようと思う。
あぁ、今何か必死にもがいて、あがいて、
立ち向かおうとしてるのかもって。
そんな事を思いながら、
気付けば本人は笑顔が増えて、
ゲームしていても穏やかになって、
それなりに色々と考えるようにもなっていて、
自分も手放しに信じることが出来ていて、
ただ、幸せなんだよ。
何も不幸せなことがない、
嘘でも強がりでもない、
心からの幸せ。
ちょっとした、独り言。
今みさに子どもが不登校になりかけのお母さんやお父さんにお伝えしたいこと。
「明日は行く」の言葉にダメージを受けるお父さんやお母さんへ。
お子さんの不登校で困惑されているお父さんやお母さんへ。
不登校あるあるだと思いますが初期は迷走しました。
長男が不登校になって色々な事を教わりました。
不登校の親として思うこと
ボクが自身の経験から不登校に対して思う事を、以下のマガジンにまとめていますので、もし宜しければフォローのうえ他の記事もご覧頂けたら幸いです。
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