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遺書No.416 変化。
※この記事は、私がかつて(2004年7月6日から2009年7月5までの5年間)、cgiboyというサービスのブログで毎日投稿していた「遺書」の中から、とある1日を抜粋して転載したものです。
※最後に、久々に読み返しての一言メモを追記しています。
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2005.8.25
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あの時こうしておけば、
あーやっておけば、
確かに、そんなんばかりですゎ。
でもね、多少の社会経験と多少の管理職を経験して、この年になって、独立起業して。
初めて今考えが変わったね。
考え?気持ち・・・思いとでもいうのかな。
「あ~しとけば・・」みたいな気持ちはあれど、それは決して「後悔」と同一のモノではなくなった。
こうしておけば、ああしておけば、もっとよい状況になってたかも、というのは全て希望的観測であって、決してマイナスなモノじゃなくなった。
うまくいえんけどね。
自分のしてきた事は無駄じゃなかった、と思えるし、間違いじゃなかった、とも思える。
当時リアルタイムでは激しく自己嫌悪したり鬱になったよなことさえも、その時は「遠回り」だった事も、過ぎちゃえば「近道も遠回りもなかったな」なんて思う事が多いし。
何が言いたいって訳じゃなくてね。
自分の報告でちた。
現在27歳。
まだまだヒヨッ子。
色々な経験や知識が、逆に偏ったモノの見方や先入観といったモザイクを作り、無色透明でケガレを知らなかった、あのスポンジに水を注ぐような吸収力は既に失ってしまった。
それでも、まだ吸収し続ける。
続けたい。
続けられる自分でありたい。
人に与えられた学習能力、吸収力というのは、決してお風呂を洗うスポンジとは訳が違う。
早々に吸収力に限界が来たりはしないはず。
ただ世代の差や時代の流れが生み出す泉は、旧型のスポンジには吸収しづらいモノに化学変化を起こしている場合が多い。
いや、もしかしたら自分のスポンジが、吸収しづらいモノに化学変化を起こしちゃってると言った方が正しいのかも知れない。
骨格や歯、脳や臓器などのパーツ、つまりはハードも変わりつつあるしね。
ならば搭載されたソフトもどんどん新型に変わってる訳で。
人の優れたところは、自主的に古いモノから新しいモノへアップデートできる能力だと思っている。
でも、限界てあるやんね。
限界じゃないか、アップデートする基準がね、通用しなくなるんやなぃかと。
でも逆に言えばそこが、そのアップデートする基準の多様性てか柔軟性が、性能の個体差なんじゃなかろか、と。
あ、才能の個体差ともいえるんかな。
だから切なくなるね。
自分の性能を見切らんと成長は難しいとも思うけど、性能を見切れちゃうと、限界が見え隠れする場面に遭遇した時、とても哀しくもなる。
ハードもソフトも、所詮この程度なのよね、俺って。
と、2年前に思ったあの日から、アップデート機能を備えた別売りのソフトを探してるみーくんでした。
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2021.10.29
毎日遺書を書き始めた当時416日目の投稿内容。
若いなぁ。そしてなに言ってるのかよく分からない書き方を、好んでしてしまう自分は当時から変わらないな。
それとアップデート機能を備えた別売りのソフト、ないわ。
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