いい娘って、なんだろう。
私には、パパとお父さんがいる。定期的にお小遣いをくれるパパと、家族であるお父さん。
ではなく、血の繋がったパパと今の家族であるお父さん、2人の父親がいる。それぞれ思い出のある大切な家族。その父親のどちらともと離れて暮らしているからこそ、この日には少し考え込んでしまう。いい娘って、なんだろう。自立した娘として何かプレゼントをすることだろうか、元気な姿を見せることだろうか、よくわからなくなって毎度お父さんに何かを渡す。迷って迷って渡してきたものは、真ピンクの使い所を選ぶネクタイ、ごつい漢字の羅列された渋すぎる湯呑、持っているのを見たことがないブランドのハンカチ、そして微妙に使いにくい商品券。今年も商品券を送ってしまおうと考えていたところだった。
祖母から、スーパーで買ったのであろう九州の枇杷が送られてきた。運ばれてくる間に熟れすぎたそれを、仕事から帰ってきて泣きながら食べた。好きな果物といえば枇杷なのだが、つい最近まで「枇杷を好き」と言えなかった。幼い頃から好きだったのに、家族にさえも枇杷を好きと、食べたいともあまり言ってこなかった。でもきっと、幼い頃から好きだったのだと思う。九州は福岡の、とある家の庭には私の食べた枇杷の種から育った実のなる木があるほどだから。それは、毎年100~200個ほどの甘い実をつけているらしい。生まれた頃から住んでいた家を私たちが引っ越した後、庭にあった1番大きな枇杷の木をパパは掘り起こして連れて行き、今も大事にしていることを知った。枇杷を食べる度に、毎度そのことを思い出す。私とパパの食べた枇杷の種から、すくすくと育った枇杷の木。遠く離れた姉妹のような。
パパの中での私は、何となく小さい娘のまま止まっているような気もする。私と離れた頃のパパの年齢に近づいている。会わないうちに、東京で一人暮らしをして生活できる娘になった。そして、また父の日がやってくる。最後に渡したの、何だっけ。クレヨンで描いたパパの似顔絵だった気がする。いや、母と何か作ったかな、もう覚えていない。今年こそはパパにも何かを送ろうとしたところ、猫の写真とメッセージが目に留まった。
”娘の胸にはハートがある”
この猫の胸元には、白いハートの模様がある。黒と白、茶の隙間から浮き出るように、それは主張している。いつの間にか、私に妹ができていた。写真を遡ると、枇杷の木に登り、まるで私はこの木の守り神でここは住処だ、と言わんばかりの顔をしている。ように、どうしても見えてしまう。名前も知らないけど、猫さんよ、それは私の枇杷の木だよ。だけれども、丁度いいから、そのままそこで聴いてほしい。
拝啓 猫の形をした私の姉妹
私はあなたのことをとても尊敬しております。
少しも私の心は見えなくて、時々何もかもがわからなくなってしまうのに、あなたの胸にはいつも目で見てわかる白いハートがあって、父の癒しとなっていることを羨ましく思います。
会ったことがなければ話したこともない、いや、会えたとしても言葉を交わすことはできないのだけれども。それでも、私たちはパパから娘と呼ばれる存在だから、きっと姉妹です。
その枇杷、食べましたか?
美味しかったですか?
あなたが今登っている枇杷の木は、幼い頃に父と食べた枇杷の種から育った、思い出の木です。
どうかその木を、そして父を、私の代わりに見守ってください。
遠く離れたお姉ちゃんからの、小さなお願いです。
そしてもうひとつ。
無理なお願いかもしれないけれど、たくさん長生きして、ずっと父のそばにいてください。
敬具 人の形をした父の実の娘
ああ、そうだ。
これだけだと、あなたみたいにハートを見てもらうことはできないから。
十何年ぶりの父の日、野菜でもプレゼントしてみようかな。
何百となる枇杷を食べて、たくさんの野菜を食べたつもりの父へ。
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