近況報告
最近低浮上でした。楽しみにしている方がいらっしゃれば申し訳ない!!
今私が感じてることを書き殴ります。お見苦しいですがお付き合い願います。
実は私27歳位の頃からずっとライターになりたいと思っていました。Xで色々つぶやいているのでもうご存知の方もいらっしゃると思いますが、33歳にして10年間働いた比較的安定していた企業を辞めライターの道へ進みました。どうしてもやりたかったことがあって、自分が思考した事が誰かの心に刺さってほしい。誰かの人生を変えられたら‥そんな期待を胸に転職しました。
転職して3ヶ月‥私は辞めました。
転職先の企業は悪くありません。原因は私にあります。Xでつぶやく事柄、副業でしているライターの案件、そしてこのブログでインタビューしてそれなりの文章を書く、私はそれで満足し自分の実力に過信して、がんばればそれだけでお給料がもらえると勘違いしていたんですね。
妻が言ってたことがあります。
「そのインタビューの記事ネタ終わったらどうすんの?最後までやりきる覚悟はあるの?インタビューする人がいなくなったらどうするの?」
「あんた、転職転職ってただ見た目を受容してもらえる場所が欲しいだけなんちゃうの?」
「ほんまにやりたいことなんか?」
「転職しようが失敗しようがあなたの人生なんやから好きにしな、私は縛らない。でも自由には責任が伴うよ」
正直うるさいヤツだと思いました。社会人経験なんて少ししかない。夜の世界で生きてきた妻に私の何がわかる?と思いさえしました。
「それくらいわかってるよ。私は大企業でずっと働いてきたんだ。私はメンタルが強い。やっと自分を受け入れてくれる場所が見つかった」そう強く信じていました。
しかし、現実は全く違いました。
自分が作った記事を目の前でぶっ壊される毎日でした。(もちろん転職先の方は悪くありません)経験不足から来るものだから慣れたら大丈夫だ。慣れたら大丈夫‥この言葉が一人歩きして私はこの言葉と共に放置されぶっ壊されついには萎縮していきました。インタビューをするにも文章を書くにも壊されることやけなされることに対して恐怖を感じるようになりました。あれほど自信があり名刺まで作ってライター名乗っていたはずが、恥ずかしさや情けなさのような渦巻いた感情が津波のように押し寄せてくる。そんな気持ちで朝を迎え、泥沼から這い上がりながら終電で家に帰る日々が続きました。帰宅する時間は家族は寝ていて朝も寝ています。たまに話すだけでした。妻がご飯を作り置きしてくれていたり帰るまで待っていることはほぼありません。たまに子どもたちの残飯が残されている程度でした。妻はあくまでも自分ファーストの人間なので自分が犠牲になるようなことは一切しません。それを理解した上で好きになり結婚したくて仕方なかった私がいます。なぜそこまで一緒になりたかったのか?もしかしたら本能的に強い人間を求めていたのかもしれないと後になって気が付きました。私は弱かったのかもしれません。いや弱かったです。経験0で始めるなんてそんなものなのかもしれません。
新入社員の頃は必死にしがみついていました。本当に実力があれば楽しんでできたのかもしれないし、すぐに成果も上げられたかもしれない。もしかしたら10年間の社会人経験と無駄なプライドが私を邪魔していたのかもしれません。妻から言われました。「転職決まった時すごいおしゃれして髪型変えて服も頑張ってたけど最近気をつけてないね。余裕ないの?つーかライターって肩書と女の格好して通勤する自分に酔ってただけちゃう?上手くいってないなら心が壊れる前にやめちまえよ。わしが働く。とりあえず繋ぎで人妻系の風俗面接いくわ。こういう時に過去の経験は大いに生かされるのだ。ハハハ!」妻は全く動じずに言いました。なんならこの結果がわかっていたかのような冷静な振る舞いで。しかもその後のピンチをまるで楽しむような笑みを浮かべて。
その一言で私は救われ肩の荷が下りた気がしました。自分が好き勝手でベンチャーに行くことに背中を押してくれただけじゃなく、すぐに辞めて収入が0になることもいとも簡単に承諾しました。
人生のネタができた!!とめちゃくちゃバカにされ笑われましたが、妻の器にはいつもびっくりさせられます。
「反省して次に生かそ。これは勉強。失敗で人は人生の伏線回収していくんやで」と妻が言いました。
以前働いていた会社に出戻り制度があったので約1ヶ月程面談を繰り返しました。
妻は自分が社長なら舐められたもんやと思う絶対採用されないと言いました。正義感や義理人情を重んじるまるで昭和のヤ◯ザの様だと思いました。今あの会社は人手不足だから絶対私は戻れるはずだ。そう確信し、それ以外の会社を受けようとかバイトをしようなんて思わずにただ人生の夏休みをゆっくり過ごしました。
妻はうるさく言ってました。思考を止めるなと。しかし聞き流していました。まるで頭に全く入らないスピードラーニングのようでした。出戻りができるかどうかが分かる合否発表の日は妻の誕生日でした。妻が子供達を幼稚園に送った後に連絡が来ました。
結果は不採用でした。
要は3ヶ月で帰ってくるなんて舐めとんか、と言った具合でしょうか。私は高をくくっていたため落とされるなんて思ってもみませんでした。目の前が真っ黒になり動悸が止まらず夢のような感覚に襲われましたした。大失恋の瞬間にある意味似ていました。今の状況、そして未来がボヤケてよくわからないという現象です。その瞬間妻が帰宅したので正直に話しましたがなぜか笑っていました。
「面白くなってきたやん、人生のスパイスやからなそれ」
1秒でも死んでしまいたいと思ってしまった自分がそこにはいましたがスパイスだと笑う妻を見て「生きよう」とXに呟いた自分がバカバカしくなるのでした。
余談ですが、妻はその日仕事に行きレ◯プされそうになり客と取っ組み合いの喧嘩をしたそうです。色んなことが重なるなぁ…と京都駅周辺で一人ゲラゲラ笑っていたそうです。「まだまだ刺激が足りねーんだよ、もっとかかってこいよ」と自分自身に叫んでいたそうです(たぶんウソ)
元々仕事が大好きな妻は2件ほど風エス店を転々としたのち店に不満を持ち、不満を言うくらいなら自分一人でやってやる!と意気込み一人で仕事を始めメキメキと業績を上げています。
口癖は「完全歩合制舐めたらあかんで」
その言葉の意味が痛いほどわかる日が私にもその後来るのです…(現在進行系)
私はこの失敗から何を学び、これから先どうすれば良いのでしょうか。大抵の人は自分の仕事ややっていることにプライドを持てと言います。私もそう信じていました。しかしこの言葉を分析していくとプライドは誰かの手、もしくは自分の手によってに傷付き、消滅してしまうこともあるんです。この考えは仕事を続けていく上でのトラップだと思います。やりたくもない仕事ややりたくなくてもできる仕事にプライドを持つことなんて酷ですよね。毎日ただやり切る、毎日をただ淡々と生きるだけ、なんです。それにプライドを持てと?私の以前の仕事はその状態が10年間続いていました。夢も希望もなく言われるがままに上の言うことを聞きイエスを貫く。それがサラリーマンでありその代償は安定です。安定の先にあるのは守るべきもの。家族、ローン、余暇。一見当たり前のことの様に思えませんか?誰しもがしていることです。贅沢な悩みかもしれませんが安定の代償にプライドを持てなんて不可能ではないでしょうか。少なくとも私は無理でした。転職して好きだったはずのライターにさえ誇りをもてなくなりました。プライドもなくなりブログを続けることもできなくなりました。転職したことによりこれまであったライターとしてのプライドを自分自身の手によってに傷つけてしまったんです。皮肉ですよね。
では、好きなことを仕事にしている人達は一体どんな人間なんでしょうか。これは人にもよるとは思いますが、環境選びと巡り合った仕事を楽しめる気質があるかどうかだと思います。身近な存在で言うと妻です。
妻は元々新卒で某大手企業で勤務していましたが話しを聞く限り典型的なクラッシャーだったそうです。(その話は長くなるのでまたいつか)同僚や上司や彼氏さえも次々病んでいくため自分自身が原因だと気付き組織にいたらだめな人間だと自覚し会社を辞めました。それからは十数年完全歩合制の世界で生計を立てています。動くのを辞めたら収入はゼロ。だから動かなければならない。動いてもだめなら考えなければならない。だから思考を止めるな、それが妻のモットーだそうです。
妻は今の仕事が天職で私ばかり楽しい思いをするのは申し訳ないと言います。今は楽しみながらお金を稼いでいますが、それまで紆余曲折あったそうです。泥水をすする思いで生きてきたと豪語しています(たぶんウソです)
妻に仕事に対してプライドはあるのかと聞くとそんなものはない。あるのは「覚悟と諦め」だと言いました。
覚悟とは「どんな仕事でも楽しんでやる」と云う覚悟。
諦めとは「合わないものは合わない、良い意味で自分の可能性には期待しない」自分にできることを見極め、数をこなし楽しめるレベルまで行き着くと天職になるかもしれない。私はそう思いました。
当たり前の事ですが楽しむレベルまで落とし込むことは私にとって難しさを感じます。最初は妻も今の仕事に昔から憧れていた訳ではなく小遣い稼ぎのつもりでやっていたそうです。本当は警察官や自衛隊になりたかったんだとか。ある時は歌手になりたかったとか。荒唐無稽な事を言っているので彼女の本心はよくわからないままですが。
ただ余談ですが、彼女が鍼灸師の免許を取得したのは「麻原〇晃の世界に近付きたいから」だそうです。これに関しては正直怖いですがこれくらい考えがぶっ飛んでないと面白い人生は送れないのかな、と思ったりして。
憧れや見栄や薄っぺらな考えだけでは仕事はできません。ましてや自分の経験や価値観で何かを生み出すことの責任の大きさ、難しさは計り知れないものです。心の底から学びました。
好きなこととできるこは全くの別物であり私はそれを履き違えていました。趣味を仕事にすると失敗するんですね。私は収入も得ずにただのマスターベーションで文章を書き自分には可能性が溢れていると勘違いし勝手に収入が得られると勘違いしていました。マンガが好きだから漫画家になる!と35歳で宣言したのと同じだったのです。20代の頃に理解しておけばよかった、でも今気がつけて本当に良かったと思います。転職して無職になった今だからこそ組織に属していたことのありがたさ、逆に家事や育児の大変さを実感できました。
私は今育児と家事を中心に行い、妻と同じ完全歩合制の仕事に挑戦しています。妻が口癖の様に言っていた「動かなければ0になる、完全歩合制を舐めるな」その言葉の意味が少しだけわかったような気がします。
妻は誰にも頼らずずっと一人で明日は0かもしれない、生活できないかもしれないそんな不安を抱えながらも前向きに明るく働いていたんです。自分のことを屁みたいものだと言いながら。妻がたまにXで呟いている言葉「この世は地獄だから辛くて当たり前、死んだらやっと永遠に全身麻酔がかかる。地獄で暮らすなら辛いことを少しでも避けて一度きりの人生地獄の中で希望を見つけよう、地獄でさえも楽しもう、好きなことしよう、なんでもかかってこい」私はこの言葉を忘れずに家族に迷惑をかけまくったことを抱えながら失敗を繰り返し、その度に妻にモラハラされ、それでも前を向いて生きていこうと思います。永遠の全身麻酔がかかるその日まで。
まとまりの無い文章、長々と失礼いたしました。
不定期にこれからも投稿していこうと思います。