何かを 制限する ということ。
障害福祉(主に知的障害)に関わって17年目。
利用者さんを支援する中で必ず出くわすことといえば
利用者さんが…“やっちゃいけないことをやる”
これに出くわすと私たち支援者はこう言います。
あれは危ないからしちゃだめです。
これはもったいないからしちゃだめです。
それもだめ。あっ!もーだめですってば!
…ということで次に取りがちな方法。
「あれ」「これ」「それ」ができないように
行動を抑制する、対象物を隠す、情報を絶つ…などなど。
一番かんたんな方法
だけど
一番何の解決にもならない方法。
何かを制限することで他の何かに行動が代わるだけ
そして
何かを制限されるたびに
言葉にできない欲求やフラストレーションを
ただただ我慢させられる。もしかしたら、それは一生。
そんな人生もちろん私は絶対に嫌だし、
制限することで話が済んでしまったら
そもそも支援者って何のためにいるんでしょう。
そんなことを日々思うわけです。
先日、とある相談員さんが言っていたそうです。
(あ、批判ではありません。私もたぶん言ったことある)
人前で服を全部脱いでしまうとある利用者さんの会議にて
“やっちゃいけないことはやっちゃいけない”
“それはきちんと伝えないといけないと思います”
はい。私も全くもって同感です。
そりゃそうですよ。不快になるのは支援者だって同じです。
でも
私たちは“脱いでしまう理由”を探ろうとしているわけです。
これは…とてもとても難しい問題です。レベル10(高いのか)
考えたところで答えにたどり着くのか
そもそも答えなんてないかもしれないし。
だけど
見せたいだけでしょ?って答えを安易に導いて
はい。それ社会的にアウトー!やっちゃいけませんよ絶対にね。
はい。それでは、脱げないように制限しましょう!
…って、いやいやいやいや
言葉で自分の気持ちを表出できないハンデのある方に
そんな関わり方する方が“アウト”でしょう。
支援者はプロとして、専門家として支援を行う。
病院に行ったら病気を治してもらえる(かも)
塾に行ったらわからなかったことが分かるようになる(かも)
それと同じで
障害福祉サービスを利用したら
やりたかったことができた、できるようになった。
障害でハンデがあるけど、それを補う方法を見つけられた。
この人(支援者)たちといたらなんでもできそうな気がする。
いぇーーい(なんか楽しい)
利用者さんの
そんなご期待に応えていくのが“支援者”なんじゃないかな。
というか
私はそういう支援者になりたいなーと思っている。
支援者はプロとして、専門家として支援を行う。
あらためて、自分の胸に刻んどきましょう。
考えることをやめない。
とらいあんどえらー!
あんど
とらい!
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