これまでの人生、急に振り返ってみた①
なんだかね、
子供二人産んで、わたしの願いも叶えられて。
わたしがしたいことってもうこれ以上にないなって思えたのね。
かえちゃんが6歳になり、幼稚園生活3年間を終え、もうすぐ小学生になろうとしてる。
その狭間にいる今、
自分自身の幼少期〜今までの、
30年間を振り返り思い出すことが多くなり。
うん。
わたしは、ずっとおとなしいこで
それは人見知りで内弁慶な人間でずっと生きてきたから。
はたからみたら、苦労している人って訳ではなくむしろ恵まれてるって思われるような人生を歩んできたかもしれない。
でもね自分が感じてきたこと。
結構苦しいことばかりでした。
親に遠慮してびくびくして言いたいこと言えないこともそうだし。
なにより小学1年生のときに、入院したことが、本当にさみしかったな。
辛い苦しいってよりかは、本当に本当にさみしかった。
あの経験は、わたしが生まれて初めて味わった本当の孤独。
そこから、退院して、まあ勉強はできる子だったのでそこで優越感を味わうことができたのが救い。
でも運動神経がまるでなく、とても大人しかったので、学校生活はなかなか苦しいこと多かった。
まあでも友達も少ないながらにできたり、なんとなくみんなと楽しいなって時間過ごしたりもそれなりにしてた。
中学に入り、塾に入り頭の良い子が集まるエリートクラスに入れて。そこは楽しかったな。純粋に勉強は、元々できるタイプだったので割と楽しかった。
中学校生活は、心身のバランスを崩してしまい、よく頭痛いとかで休んでたな。
部活も、自分に合う吹奏楽とか選べばよかったのに、バドミントンなんか選んじゃったから全然ついていけず、途中でやめちゃった。
高校は、公立落ちて私立だったけど、相変わらず人見知りなのと運動神経がまるでないことがものすごい足引っ張ってたけど、友達と楽しい瞬間もそれなりにはあった。
あと、割と男性にもてる一面があったため、そこで楽しい時間もあり、そこはよかった。
大学は看護の学部に入ったけど、またここでうまく対人関係を築くことができず、勉強にも身が入らずで留年してしまった。
でも留年中に今の夫と塾講師のアルバイトで知り合ったので、それも必要な時期だったのかな。
無事看護師にはなれたけれど、
また看護師になってからが地獄だった。
まず、わたしは、看護師なんかむいていないのになってしまったので、誰だってキツい病棟看護の仕事が手に負えなさすぎて、本当に苦しかったな。
夜勤も、夜中に起きていることが全然慣れないし夜勤前の仮眠もうまくとれないし。
今思い出すと、ほんとよくやってたよ。
ただね、わたし割と要領はいいのね。コミュニケーションはとれない人だけど、てきぱきやるのは結構好きなの。あと理系的な脳持ってるから、割り切って考えれるところもあって。だからやれてたんじゃないかな。
でも内科の腎チームで透析患者なんて、病態把握大変だしクセのある患者ばかりだし、急変はあるし。で、小児科に異動したよね。
小児科はまだよかった。楽しいと思えたし、患者も少なく残業もなく。ただ緊張しいで、やはり看護師むかないと思って夜勤も嫌で、やめたね。
そのあとは、今の夫の仕事、転職するってなって地元の千葉→神奈川へ、引っ越したね。
つづく…▶︎▷