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アスリートではない僕が、オリンピックをマイルストーンに置く理由。
やほ!
長かったTOKYO2020もついに終わりの時が近づきました。
オリンピック期間は毎日ツイッターで呟き、
それ以外の期間でもオリンピックに関するnoteを投稿していました。
ただ、そもそもなぜここまでオリンピックに魅せられ続けているのか、
自分×スポーツのコアの部分をこれまでお話ししたことがなかったので、
それについてと、今後の人生設計について話します。
いきなりですが、五輪を軸とした将来設計を立ててます。
周りの人にこれをお話しすると、
「もうそこまで決めてるの!?」と驚かれることも多いですが、
自分の中では、マイルストーンとして、オリンピックを軸とした将来設計を立てています。
スマホでもツール使って、こんな感じでカウントダウンを始めました。
基本は夏季五輪を軸にしてますが、ざっくり書くとこんな感じです。
PARIS2024:ボランティアとして大会運営に携わる、もしくは意地でも観戦に行き、海外の方々との一体感を感じる。
LA2028:27年からアメリカ留学でスポーツビジネスを学び、街並みや空気感が変わるところから体感する。
Melbourne2032:あわよくば、日本の仕事と並行しながら、メルボルン五輪に直接携わる
こう設計したのは、
4年という周期がちょうどいいからというのもありますが笑、
ただそれでもオリンピックにこだわる理由がたくさんあります。
そもそもどうしてオリンピックに興味を持つようになったのか、
過去の五輪を振り返りつつ、お話ししていきます。
野球から、オリンピックへ。大きく広がるスポーツに対しての思い。
最初は、”オリンピックの野球”という、小さな枠から入りました。
そこから”スポーツの中でのオリンピック”という大きな枠に変わっていきました。
生まれて3ヶ月後くらいから中学3年生まで水泳を、
幼稚園から小学校に上がるまでサッカーを、
小中高12年間野球をやってました。
ただ、本格的にスポーツに興味を持ち始めたのは小学校に上がってからです。
小学校2年生の時にアテネ五輪がありました。
当時はテレビで見るというより、新聞やニュースで結果を知るだけでした。
ただいまでも鮮明に覚えているのが、
学校の何かの授業で、オリンピックをテーマに壁新聞を作ったことです。
取り上げられる記事は3つほどだったのですが、
その3つのうち1つが、ハンマー投げの室伏広治選手のメダルが、
相手選手のドーピングにより銀→金になったことでした。
ドーピングとはなんぞや、というふうに思ってたとは思いますが、
当時の自分にとっては衝撃だったのかなと思います。
とはいえ、自分の興味がまだ野球と水泳だけに絞られている状態なので、
翌大会の北京五輪も基本はこの2つ。
プロ野球にも徐々に興味を持ち始めていた頃で、
旅行中でも、テレビがあれば時間問わず、釘付けになっていました。
野球の3位決定戦中は、福島のハワイアンズリゾートに家族旅行に行っていたのですが、
プールや温泉そっちのけで、テレビがあればオリンピックにかじりついていました。
結果、迷子で何度も呼ばれ、母さんにめちゃくちゃ怒られました。
それだけ、オリンピックがアスリートにとっても大事な大会だったと認知した瞬間かもしれないです。
余談ですが、この頃、J-POPにもどハマりしていたのですが、
北京五輪のテーマソングになっていた
「GIFT」、「もっと遠くへ」、「この瞬間(とき)、きっと夢じゃない」は今でも名曲だと思ってます。
中学生・高校生になった頃から、
スポーツに対しての位置付けが自分の中で変わってきます。
これまでの野球と水泳”だけ”の状態から、
「他の競技の動きを野球にどう活かすか」という視点に変わり、いろんな競技を見始めるようになりました。
そんな中で迎えたのが2012年のロンドン五輪。
部活や勉強などの時間が許す限り、人気競技を片っ端から見ていくようになりました。
内村航平の体操から、卓球などなど、
そして、野球にどう活かすかの観点では飽き足らず、細かい観点に向き始めるのもこの頃からです。
例えば、吉田麻也選手が「俺だ俺だ俺だ」パフォーマンスをゴール後に行ってたのですが。
それを見つけたあたりから、細かい観点に向き始めます。
先ほど書いた「テーマソング」の件も含め、マニア化の道を少しずつ歩み始めます。
ただ、ここまでつらつら書きましたが、
あくまで目線は全て国内向けの話です。
ここまではおそらく、ミーハーです笑
スポーツ、言語いらなくね?国内から世界へ視点が向き始める。
そんなこんなで、スポーツを通じて何かしたいな、
ただプロになるとかは難しいから勉強の道で何かできないかなと思いつつ、
大学もスポーツのことが少しでも学べるか、という観点で選びました。
結果としては、浪人し明治に進むことになります。
第一志望でなく、受験自体も不完全燃焼で終わっていたので、
せめて大学では見返してやると思い、
入学する前から授業の履修を眺めていました。
そんな中でスポーツ関連のゼミがあることを見つけました。
扱うテーマがオリンピック。
一発で、「これだ!!!」と思った瞬間です。
ちょうどこのタイミングで、世界最大級の学生団体・アイセックにも入会し、
国内だけだった視点が一気に海外に向き始めます。
そのタイミングであったリオ五輪ですが、
もちろん時間が許す限り観戦します。
しかもこのリオ大会からネット中継が始まったことにより、
どこでもオリンピックが見られるようになりました。
ネット放送でニッチな対戦カードやマイナー競技なんかも見始めるようになりました。
オリンピックからは離れますが、
翌年夏、カンボジアの小学校に海外インターンシップのために渡航します。
そこでは、体育授業と運動会を運営、実施したのですが、
ここで改めて認識したのが、
「あれ、スポーツって言語いらなくね?」
どれだけの違いがあっても、
スポーツという共通言語があれば、皆で1つになれる。
その目標に向かって頑張っているオリンピックの世界観とも妙に合致したんですよね。
ここで、オリンピックへの思いが沸々と湧き出てきます。
ギリシャで体感した理想状態。そのステップとしての東京。
先述の志望していたゼミにも入室が決まり、
その教授の紹介もあって、
3年夏に2週間半、ギリシャ・オリンピアでの短期留学に行きました。
テーマはもちろんオリンピック。
オリンピックについて世界中から参加したメンバーとディスカッションしつつ、
夜はロシアW杯を観ながらワイワイする、そんな毎日を過ごしていました。
まじでスポーツで一つになるっていいな。
こんな世界観作ってみたい。
と、強く強く思った瞬間でした。
とはいえファーストキャリアとしてはスポーツとは違う道に進み、
脂の乗ったタイミングで何か価値貢献ができればと考えていますし、
この考え方は変えていません。
以降、オリンピックに関わるイベントに参加したり、
海外旅行をしてはオリンピックにまつわる場所へ訪れつつ、ギリシャ留学時の友人と会い、
オープン1週間後の日本オリンピックミュージアムに足を運び、
しまいにはリスクを負ってまでローザンヌへ向かいました。
この異空間が東京で味わえる、体感できる。
今か今かとその時を待っていました。
しかし、現実はうまくいきませんでした。
1年延期。そして不完全燃焼の大会期間に。
— はなもとなつき_はなもん@黄色い生姜のカスタマーサクセス (@ntk_hanamoto) March 24, 2020
大事なところだけ切り取ると、
— はなもとなつき_はなもん@黄色い生姜のカスタマーサクセス (@ntk_hanamoto) March 24, 2020
・the IOC President and the Prime Minister of Japan have concluded that the Games of the XXXII Olympiad in Tokyo must be rescheduled to a date beyond 2020 but not later than summer 2021
やっぱり2人で「100%」合意してる。
世の中の状況もあったとはいえ、最初はショックしかありませんでした。
ただ、社会人1年目で有給も取れないし、
来年じっくりこの世界観を体感できるチャンスとも捉えられましたし、
もしかするとボランティアも再募集がかかるかもしれない、
1年経ったら状況も変わってるだろうからギリシャ留学のメンバーも来れるかもしれないなどなど、ポジティブに捉えつつ、開催を待ち続けていました。
が。
3月、海外からの観光客NG。
7月、無観客開催。
海外からの観光客NGは仕方ないとして、
無観客開催は今でも許せません。
スポーツを通じて一つになる瞬間を日本人同士でも体感したい、
有観客開催しているスポーツもある中で、
なぜ無観客なのかの理解ができませんでした。
それでも、仕事終わりにスマホで観戦し、
帰宅してからはテレビとスマホとタブレットの3画面観戦するなど、
大会自体は楽しめましたが、
どこか自分の理想とは遠くかけ離れたオリンピックになったなと感じています。
そのうち、このコロナ禍で、どうオリンピックを楽しんだかはnoteする予定です。
思いを乗せ続けるために。
30歳になったら、スポーツを学びに海外に留学する。
就活時から変わらず言い続けていました。
当時はどこで何を学びたいのか、それすら決まっていませんでしたが、
このオリンピック期間で感じた反対ムードがどこかしこでも起こるものなのか
オリンピックとしての本当の位置付けを探りたい、
東京で感じることのできなかった街並みが変わる雰囲気を体感したい、
という思いから、自分の中ではロサンゼルス(LA)を目指すことに決めました。
これまでは、この留学を目標に設定していましたが、
無観客になり、せっかく皆で喜びを分かち合える機会もなくなったことから、それを体感したい(要は観戦したい)ことや、
社会人1年目や2年目などで機会損失したボランティアも体験したいことから、
大会期間中にパリ五輪を自分のキャリアステップの中に組み込むことを決めました。
それ以降は、まだ何もわかりませんが、
32年のメルボルンまで決まっているので、
その頃には働き方も自由になってるだろうし、コロナも明けてるだろうから、
メルボルンでリモートワークしつつ、ボランティアとか仕事に携われたら幸せなんだろうなって考えてます笑
スポーツ・オリンピックに対しての思いと、
それに紐づいた人生についてをお話ししましたが、
正直どうなるかなんてよくわかりません笑
ただ、自分の中で決まってなかった将来図をこうやって言語化できたのは良かったのかなと思ってます。
オリンピックについて思うことも今後引き続きnoteしていきますので、
これからも応援していただけると幸いです。
ということで、最終日、
お台場のファンゾーンに行って、
最後の最後まで楽しんできます!
ではまた。
はなも(ん)
P.S.
自分自身が大事にしている軸についても書いています。
この話にも少しつながる部分があるので、
よければご覧ください。