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死にたさの類い


私にとっての「死にたい」は
「何もかも面倒くさい、傷付きたくない、誰ともかかわりたくない」の意です。

本当に今すぐ首を吊って死にたい、
という気持ちとは違います。

こんなことを書くと本当に死を考えているひとや病気や障害などで辛い思いをしているひとに失礼だと言われそうだし、事実そうだとも思いますが、あえて吐き出させてください。

私はただ一個人の死にたさについて話したくて、この死にたさの類は多くの人も感じたことあるのではないかと思っています。


憂鬱な予定がある時、会社でミスをした時、好きな人の前で大失態を見せた時、今すぐこの場から逃げ出したいくらい孤立無縁な状況に陥った時、自分がどうしようもなく無能で哀れで格好悪いと気付いた時、後悔しても遅いことをいまだに後悔していると自覚した時。

そんな時、自分を守るかのようにこの「死にたさ」は現れます。


誰にも聞かれないように呟くと、すこしホッとする気さえします。
ああ、今自分は「死にたい」と言ったんだ。
心の中で飼っていたコイツが表に出てきて、私はそれを受け入れちゃったんだ。

冗談が下手な自分じゃ、ひとにこんなこと言えない。
びっくりされるし、最悪の場合はドン引きされると思う。

「こいつ何言ってんの?こんなことで?なんて返せばいいんだよ」

って心の声が聞こえてくる気がする。


でもさ、じゃあコイツはどうすればいい?
ずーーーっと私の中に囲ったまま、どんどん増えていくコイツを見て見ぬふりしなきゃいけないんだろうか。


他人から見ても自分から見てもカジュアル過ぎるこの「死にたさ」は、風に運ばれてくるかのように日々私の心を行き来する。


昔はこうじゃなかったのになぁ、とぼんやり考えながら、私の死にたさの類はどんどんと増えていって、年々心が弱くなっていくのを感じる。


鬱になってもいないし、休職するまで追い込まれてもいない、友人や家族もいる。


それでも、今すぐどこかに行って何もかも忘れて、誰も彼からも忘れられて、これまで私の心や体をガチガチに固めていた後悔や怒りや優しさや嫉妬やプライドや不安や常識やマナーや憧れを全て取っ払えたら。
取っ払えたら、どれほど私は軽くなるだろう。


私の「死にたさ」とは、こういう類いだ。
小さな小さな、小さな「死にたさ」だ。


そして、今を生きてるひと皆んな、同じような死にたさの類を多かれ少なかれ抱いているんじゃないかと思っています。


「こんなこと言っちゃダメだよね」
「私なんて恵まれている方だよね」
「こんな環境でなに甘えてるんだろ自分は」


そうやって皆んな、自分の気持ちに折り合いつけて静かに静かに受け入れているのかなぁって。


それなら、時々、こんな匿名の場所で吐き出させてもらえないだろうか。

どうせ実際に死ぬまで消えることがない、たくさんの死にたさの類を後生大事に抱えていくしかないんだから。


でも、完全には消えなくても、
少しずつ置いていくことが出来るんじゃないか、そんな希望も一応持って。


私は明日も生きていくし、
今日も生き抜いてきた。


それは紛れもない事実だ。




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