【検証】「面白さ」を追及すると、人は自分を見失ってしまうのか?
はじめに:自分を客観的に見ることは難しい
こんにちは、「ざりがにがーる」と申します。
突然ですが、あなたは自分のことを「面白い人間だ」と思いますか?
私はあんまり思いません。
・・・いや、嘘です。本音を言うと、ちょっとだけ思っています。「私は『面白い人』として、けっこういい線いっているはずだ」と(忍者の衣装は面白いと思って着ているわけではなく、地元の取材で着慣れており、今は顔を隠す目的で着ています)。
「自分はけっこう面白い人間だと思う」
(特に1人でいるときに)この感覚を持つこと自体はおかしなことではなく、誰しも多少はこういうことを考えているものだ。人間というのは自分の「こうありたい」という願望について根拠なく「自分ならば中の上くらいで叶えられるはずだ」と少なからず思っていて、だからこそ夢や希望を持って生きられるといってもいい。
だから、私が自分のことを「比較的面白い人間であるはずだ」と思って生きていても、特に問題はないのだ。
なんだか、書き進めるにつれて文体がおかしくなってきましたが・・・私はお笑い芸人ではないし、一介のフリーマガジン編集者ではあるものの、「面白いネタ」で食っているわけでもありません。だから、「私って面白い人なの?」ということについては結局のところ誰にも分からないんですよ!検証する術も実績もないし~。
なんて、のらりくらりとやってきた日々も今日で終わりです。
この記事では、「自分はその気になれば面白いことを提供できる人間だ」という根拠のない仮説について、「本当にそうなのか?」検証するために分析を行った結果や、第三者による評価をもとに、結論を出すまでの過程をレポートします。
よろしくお願いいたします。
背景:受け身で書けるなら、なんでも良かった
きっかけは、昨年の5月頃。当時の私は、混沌とした世の中に不安になっていたせいか、なんでもいいからweb上でアウトプットしたいと猛烈に思うようになっていました。
でも不特定多数からの突っ込みや炎上は怖いし、「お役立ち」とかはプレッシャーがあって嫌だから、誰が見ても突っ込みづらい内容がいい。できるだけどうでもいい内容の記事を365日続けたい。それで検討した結果、「大喜利のお題を選んで小話を書きなぐる」というタイトルで記事投稿を始めました。
「大喜利」であることに深い理由はありませんでしたが、これに決まった要因は以下の2点が挙げられます。
・書く内容に迷わないよう、できるだけ受動的に取り組みたかった
・できそうな気がした(ハードルの低さを感じた)
疑念:自分の大喜利は、「笑い」として成立しているのか?
毎日投稿は思いの外うまくいき、現在に至るまで220回ほど続けることに成功しています。しかし、続ければ続けるほど、疑念が湧き上がってきたのです。
これは・・・大喜利という行為は、一体何が面白いのか?
自分の大喜利は、なんかこう・・・合っているのか?
自分の回答は大喜利界で通用するものになっているのか?
考えられる要因:私はお笑いをあんまり知らない
私は「お笑い」というものに対して、人よりもかなり疎いです。例えば、ダウンタウンさんの番組で思い浮かぶのは「ジャンクスポーツ」と「HEY!HEY!HEY!」であって、「ごっつ」は見たことがありません。だから松ちゃんの「これをこうやって・・・ドーン!!」ってやつも成人になってからTwitterのGIF画像で知りました。
私は人より「お笑い」を知らないため、「大喜利」というのもちゃんと見たことがありませんでした(そんな人間でも『できそう』って思えるあたりが、大喜利のすごいところですね)。これでは、どんなに頑張っても「面白いかどうか」を判断することはできそうにありません。
そこで、助っ人を呼ぶことにしました。
A氏
青年期にお笑い黄金時代?を過ごしたお笑いが大好きな45歳。普段は漫画やイラストを描いており、私よりも「笑い」にシビア。
A氏ならきっと、私の大喜利を客観的な視点で見てくれるはずです。
分析:自分の大喜利の傾向を知る
ざりがにがーる(以下ざりがに):さて・・・何からやりましょう?
A氏:そうだね・・・せっかくこれだけの回数、大喜利をこなしてきたわけだし、まずは自分の大喜利の傾向を知るところからやったらどうかな。
ざりがに:なるほど。でも私、お笑いの評価基準とか分からんのですが・・・一体どうすれば?
A氏:それなら、これを使ったらいいよ!
ざりがに:これは・・・?
A氏:このフォーマットを使えば、自分の出したネタの傾向が分かるんだよ。
ざりがに:この2軸でいいんですか?シンプルですね。
A氏:そう。これだけあれば十分だから。
ざりがに:えっと・・・このグラフ、例えば右上は何になるんですか?
A氏:「インパク知」やね。
ざりがに:なんだかパクチーみたいですね。要するに「インパクト」があって「知的」なネタはここに入るってこと?う〜ん、分かるような分からないような・・・。
A氏:試しに、「ちびまる子ちゃん」を例に挙げてやってみようか。
練習:「ちびまる子ちゃん」の登場人物の場合
A氏:一般的に「面白い人」っていうとクラスの中でも「前に出て面白い事を言っていた人たち」の事だと思われていそうだよね。ちびまる子ちゃんでいうところの「はまじ」や「山田」みたいな。だけど、実際にお笑いのセンスがある人って「野口さん」なんだよ。
ざりがに:確かにそうかもしれない・・・!!はまじって別に、単体で見ても面白くない気がする。
A氏:中には「はまじタイプ」の、クラスの前でわーってやる明るい人気者タイプの笑いの人もいるけどね。センスとは別で「天然」の個性で笑いを取る人もいる。「スベり芸」で一周回って面白い人もいる。狙った通りにウケを当てられる芸達者な人は少数派なんじゃないかな。
ざりがに:色んな笑いのタイプがあるって事ですね。であれば、今の私ってどういうタイプなんです?
A氏:う〜ん、個性の強い女流棋士・・・みたいな?
ざりがに:すでにお笑いの人じゃないのか。
ざりがに:なるほど。ちょっと分かってきました。
・・・これ、「ハイスクール!奇面組」でやったら全員「バカパク」になっちゃいません?
A氏:それは・・・まあ、イケメンばかりの組とかもおるから。
ざりがに:イケメン組、別にあれはふざけているわけじゃないんじゃ・・・(ギャグ漫画だからそれでいいのかな)?
対策:「笑い」で勝負しないこと
A氏にもらったフォーマットに沿って、自分が今まで応えた大喜利の回答、合計216の番号をマッピングしてみました。その結果がこちら。
(※ざりがにがーるが今まで応えた大喜利の回答一覧はこちら)
<ざりがにがーるの大喜利の傾向>
・全体的にボケていない回が多い:グラフ中央に集中
・ジャンルや投稿時期による顕著な変化は見られない:色や番号の分散
・極端な回答も半分ほどあり、その場合は以下の傾向がみられる
1.インパクト重視:どちらかというとインパクトに回答が寄っている
2.論理的な解説をつけることにより生まれる意外性:渋い×知的
ざりがに:これは・・・要するに、一般的な「笑い」としては全然成立していないんじゃ?うわ〜、私は面白くない人間だったのか・・・!!
A氏:「ボケていない」からと言って「面白くない」とは限らないよ。言うなれば、ざりがにはまだ「笑い」に目覚めていない人だから、下手に「笑い」で勝負しなくて良いんじゃないかな。むしろ今の段階で何かを狙ってやったら負けだよ。そういうのを出してしまって、見る側が気軽に楽しめなくなるのは一番良くないよ。
ざりがに:な、なるほど・・・?
A氏:・・・ざりがにの最近の投稿、ちょっと慣れてきたせいか、フランクな感じになってるでしょ?僕は最初の方の、まるで新聞のコラムのように堅い文章で大喜利やってる方がギャップがあって良かったと思う。
ざりがに:あああああ!!もうやめて、聞きたくないーーー!!
<分かったこと>
・私は一般的なお笑いっぽいことを狙ってやらない方がいい
・自分のネタを客観視されるのキッツイ。なんだかもう、いたたまれない。
・お笑い芸人さんって、メンタルすごい!!!
実践:第三者に自分の大喜利を見てもらおう
A氏の協力もあり、自分の大喜利の傾向と対策が少し掴めた気がするので、次は実践に移りたいと思います。
今まで出した216の大喜利回答の中から、先ほどの分布図を参考にして「特に自分の個性にマッチしそうだ」と思えるものを数本チョイスし、動画撮影を行いました。動画で実際の発話や身ぶりを表現することで、本来の大喜利の雰囲気や場の見せ方を活かした展開が期待できます。
きっと、今よりも格段に面白くなるはずです。
そして出来上がった動画を「笑い」に詳しい第三者に見てもらい、面白いかどうかの評価とアドバイスをもらい、さらに改善を加えることにします。
この一連の流れは「PDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)」と呼ばれています。このサイクルを回すことで、大きな成果に繋がってゆくのです。
しかし、A氏はもう大喜利の回答を全て見てしまっているため、客観性に欠けるかもしれません。そこで、評価者として新たに2人の人物を連れてきました。
オノさん
若手営業マン。人生がそこそこ波乱万丈な人。テレビ局でADとして働いていた過去があり、一流のお笑い芸人たちが出演する番組制作に携わっていたガチの人。そのため「笑い」に関しては人一倍シビア。ケンさんと2人でゲーム実況の動画配信を行なっているYoutuberでもある。
ケンさん
若手営業マン。職場の全社員の前で着ていたTシャツを引きちぎり、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスを半ば強制的に行わせるという手腕の持ち主。本人曰く「スベり知らずの鉄板ギャグ」の使い手らしいが、その実は「誰かが笑うまで永遠にネタを繰り返す」ことができる鋼のハートの持ち主。
2人とも笑いに関するこだわりが強く、プロ意識の高い人材です。かなりシビアな評価が期待できそうです。ちょっと・・・いや、かなり怖いです。こんな状況、まな板の鯉も同然じゃないか。
ざりがに:お2人とも、本日はお忙しいところお呼びしてすみません。
オノさん:いや~、全然大丈夫ですよ!
ケンさん:よろしくお願いします!
ざりがに:さっそくですが、今日はお2人に見ていただきたい動画がありまして。私が作った大喜利の動画なんですけど・・・。
オノさん:動画なんですね!
ざりがに:まだ粗編ですが・・・。
ケンさん:けっこう長そう。
ざりがに:これでも絞ったんですが・・・ひとまず今の時点で面白いのかどうか、評価をしてほしくて。最終的には今より縮めて仕上げたいので、どうすればもっと面白くなるのか、構成や編集のアドバイスも欲しいです!
オノさん:なるほど、分かりました!まず一度見てみましょうか。
ざりがに:よろしくお願いします・・・!!
< 約20分の編集動画を再生 >
zoom会議で動画を再生したのですが、後から確認したら絵面が「ザ・イロモネア」みたいになっていてちょっと面白かったです(画面共有で動画を再生したため、私は皆の顔が見えない状態で自分の大喜利動画を見なければならず、流れている内容とは裏腹に、苦行でしかなかったです・・・)。
改善:どうすれば良くなるのかアドバイスをもらおう
ざりがに:・・・どうでした?面白かったです?
オノさん:いや、まあ・・・むちゃくちゃ面白かったですよ。
ケンさん:めちゃくちゃ面白いっすね。
ざりがに:え!本当に!?やったー!!
オノさん:やっぱり・・・アレですね、「面白いが分からない」っていう設定って、面白いんですね・・・。
ざりがに:ああ〜・・・うん?
ケンさん:すごい回答について深掘りしていくので、僕らも「そうだよね、そうだよね・・・じゃあこう来るよね?」って思っていたら、ストレートな方に行くので・・・反対に行かないんだ、っていう。それが面白い。
ざりがに:ちょっと待って、全然分からんのやけど。反対って・・・何?
ケンさん:なんか、創作とかじゃない「事実」を述べられるので・・・。
ざりがに:ああ〜・・・そう・・・。
オノさん:本来、大喜利って出た瞬間バンッて出すのがすごいんですよ。それがハードルが低くて面白くなりやすい。だから、1分も2分も話してたら、その間にハードルがどんどん上がっていくはずなんですが・・・。
ざりがに:ああ〜・・・ハードル上がってたんですか、アレで・・・。
オノさん:・・・。
ケンさん:・・・。
ざりがに:・・・大喜利って、なんなんだろうなあって。
オノさん:そうですよね、大喜利・・・お笑いとかって、めっちゃ難しいですからね・・・。
<いただいた感想>
・何やってるんやろう、この人?っていう。
・なんでエピソードトークしてるの?
・前置きが長い
・様々な解説を挟むことで、回答のハードルを極限まで上げているはずなのに、そのまま歩いて来られるから僕らもビックリする
・いっそ普通の大喜利はやらなくていいのでは
ざりがに:えーと、じゃあ・・・どうしたらいい?この動画・・・。
オノさん:そうですね・・・まず、不要なところを排除するのから始めていきますしょう。
ざりがに:そうですね!ちょっと長いですよね。大分削ったと思ったのに、めっちゃ長いなと思って・・・人間の集中力にも限界があるって言いますし。
オノさん:まず、2つに分類できると思うんですよ。大喜利として普通に面白いものと、説明が長いもの。それ以外のネタは削りましょう。
ざりがに:この猫ちゃんがかわいいいやつは?
ケンさん:うまいこと言おうとしている感が鼻につくのでカットで。
ざりがに:うまいこと言っちゃダメなの!?
ケンさん:ざりがにさんは狙ったらダメなんですよ。っていうのは分かります。
ざりがに:そんな。これから私はどうやってやっていけば・・・?
オノさん:そのままでいいんじゃないですかね。
ざりがに:それじゃ今がピークってことにならない?今後の伸びしろは?なんかこう・・・これから何かが「花ひらく」ことはないの?
オノさん:・・・。
ケンさん:・・・。
<改善ポイント>
・無意味な長話は削る(解説と大喜利の回答が繋がっているものに絞る)
・今、思い出せないネタは削る
・全体的に話が長いため、大喜利のタイトルを忘れてしまうので動画の下とか上とかにタイトルを出しておいて欲しい
・導入部分の構成を整え、中だるみ感を消す
結論:自分は面白いことを提供できる人間だったのか?
この動画をつくる過程で、私は何度も「こんなことに時間を費やして・・・自分は一体何を目指しているのか?」とか「全然面白くないよ!こんなものを生み出してしまって、穴があったら入りたい」とか「『笑い』って何?もう嫌だ、実家に帰りたい」とか、様々な不安や葛藤がありました。
そんな辛い苦しみがあったにも関わらず・・・全てが終わった今、今まで感じたことのない、満ち足りた気持ちでいっぱいになっていたのです。
<得られたこと>
・大喜利について、自分も全力を尽くしたし、みんながこんなにも真剣に考えてくれた。なんだか、泣けるなあ・・・。
・この瞬間こそが、きっとかけがえのない人生の1ページなのだ。
・私はなんと幸せ者なのだろう。こんな日々が、これからもずっと続けばいいのに・・・。
今、私の手元には、みんなで作り上げた1本の動画があります。
今までの人生で、こんなにも真剣に、自分と向き合ったことがあったでしょうか。自分の個性をさらけ出すことにここまで本気でチャレンジしたことがあったでしょうか・・・無かった(就活の時にやっとけよって思う)。
「自分が面白い人間か?」だなんて、なぜそのようなことにこだわっていたのか。・・・いや、始めからこだわっていたわけではない。ただ、そう思いたかっただけなのだ。これは願望だ。誰かに向けられた「願い」だったのだ。
私は一体何を望み、なぜ「そうありたかった」のだろう。
みんなの笑顔が、見たかったから・・・?
では、最後の検証に移りたいと思います。
PDCAサイクルは繰り返すことで真価を発揮すると言われています。Action(改善)を加えた動画を誰かにまた見てもらうことで、一連のプロセスが完成するのです。
それでは、どうぞ。
動画【大喜利チャレンジ!】
<おしまい>
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