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【悪性リンパ腫・闘病記⑥】ただシャワーが気持ちいいって話


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食欲・性欲・睡眠欲

人間の三代欲求にもう1つ足すとするならば?

私は迷わず「衛生欲」と答えるだろう。

身体から管が抜かれ、まずできるようになったのは着替えとシーツの交換。温かいタオルで身体のベタつきを拭いた時、皮膚の全細胞が温泉に使ったような感嘆の声を上げ、あまりの気持ちよさに昇天しそうになった。汚れたパジャマとシーツを交換してもらい、悪臭とおさらば。そして、コップの入った水を一杯。2日ぶりに水分が喉を通過した。あまりに勢いをつけて飲んだので咽せた。咳をするたびに脇腹に激痛が走った。でも、身体を動かせる喜びをかき消すほどではなかった。

翌日、遂にシャワーの使用が許可された。午後13時、洗面道具を持って浴室に向かう。傷口を縫製されたおかげで右腕の自由は奪われたままだが、おかげで左腕一本で生活する能力が増した。器用に服を脱ぎ、椅子に座り、お湯を浴びる。

「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

抑圧からの解放。快楽という名の分泌物が身体から溢れてくる。これ以上の言葉は無い、気持ち良すぎる。これでもかというくらい身体を洗い、低温から高温まで様々な種類のお湯を堪能した。この日から退院までの1週間、シャワーを浴びることが1日の最大の楽しみとなった。

「シャワーの使用は1日1回だけですか?」

「予約が空いてたら何度でも大丈夫ですよ」

朝の当直の看護師さんに今日のシャワー室の予約を聞くのが日課になった。巧みな交渉術のおかげで午前と午後に1回ずつ計2回入る権利を手にすることができた。予約を取りに行くためにナースステーションに向かう時の私の表情はさぞニヤけていただろうな。

尿管を抜かれたときから人間の尊厳について考えてはいたのだが、正直どうでもよくなっていた。結局ね、気持ち良ければいいのよ。あえて言うなら、人は強い欲求を抑圧されているとき、尊厳を失ったと感じるのかもしれない。あの時の私は、衛生欲とか看護師さんにカッコつけたい欲とか数えきれない欲望を満たすことができなかった。

1日経つごとに体調も良くなってきて、右腕も問題なく動かせるようになった。徐々に使えるコマンドが解放されるみたいで、なんだかゲームみたいだ。当たり前に身体を使い、当たり前に生活できることが、当たり前では無いと言うこと。そんなありきたりな真理を、入院生活を通して学んだ。

そうそう、病院食が口に合わなくて苦労した。事前に博多グルメで舌を肥やしてしまったせいか、美味しく無い料理を身体が全力で拒否してしまうようになってしまった。でもお腹は空く。だから、病棟を勝手に抜け出して院内のロイヤルホストに逃げ込んだりもした。アボカドや海老、フィンガーチキン、ベーコン、チーズなど、たっぷり野菜といろいろ素材が楽しめる「食いしんぼうのシェフサラダ」は思い出の味だ。

退院の日。母に迎えに来てもらい、そのまま昼食に向かった。リクエストは焼肉。美味しいを約束された料理をどうしても食べたかった。流石に底なしの食欲ではなかったが、程よく腹八分を平らげることができた。本当に美味しかった。次回の病院は10日後。手術で摘出した腫瘍を検査し、診断がつくまで少し時間がかかる為、それまでは自宅待機となった。

「ケホッ、ケホッ…」

そう言えば、術後3日目くらいから咳が目立つようになった。主治医曰く、全身麻酔の際に気管支に管を通した影響で1〜2週間くらいは空咳が出ますとのことだった。しかし、日に日に咳は大きくなり、呼吸も苦しくなってきた。手術の後遺症ってこんなにも大きいものなのかな…?



この時、私は想像すらしていなかった。

胸の腫瘍は、着実に大きく成長していた。


-次回へ続く-

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