新旧日記
【朝】
起きてリビングに行くと、夫が気まずそうな顔をしてこちらを見ていた。
「ごめん。謝らないといけないことがある」
「え、どうしたの」
「凛ちゃんのハイボール用のグラス割っちゃった…」
おぉ、なんという事だ。
私と晩酌を共にしてくれていた、愛しいバカラのグラスが粉々になっているではないか。
「怪我しなかった?」
「ちょっと切ったけど大丈夫。ごめんね」
「形ある物はいつか壊れるんだから気にしないで」
そう言って夫を慰めたが、これはかなり残念だ。
調べてみたら私の元へやったきたのは4年前。
私は年間300日は自宅でハイボールを飲むので、1,200日も一緒にいた計算だ。
もう充分元は取ったし、きっと彼もそろそろ引退したかったに違いない。
アデュー、バカラ。
今までありがとう。
貴方といた日々を忘れない。
【昼】
手続きが必要だと言うので、夫が取引している証券会社へ一緒に行く。
初めて会った担当者の間宮さんは聡明で素敵な女性だった。
個室に通されるやいなや「俺ももう歳だし、株やら投資やらは頭がこんがらがるんだよ。奥さんのほうが頭が柔らかいと思って今日は連れてきた。間宮さん、これからそういう話は彼女と相談して決めて」と雑な紹介をされて固まる。
えぇ…。
聞いてないんだが…。
「それでは奥様である凛様が代理人となる手続きをいたします。代理人手続きには上司と面談をして頂くが必要があるので、少々お待ちください」と間宮さんが笑顔で部屋を出て行った。
面談…?
私と夫は顔を見合わせた。
「面談って?何を確認するの?もしかして私、後妻業の女的な疑惑かけられてる…?」
「俺が年の離れてる女に騙されてるかもしれないから確認するのかなw」
「しまった…!今日めっちゃ銀座の商売女みたいな格好してきちゃったよ…」
そうこうしてる間に間宮さんが上司の男性を連れて部屋に戻ってくる。
すかさず夫が男性に聞いた。
「この面談の趣旨って何ですか?面談の結果によって代理人になれないこともあるの?」
「いえいえ!…その、レアケースですが契約者様がご病気などで判断がつかない場合などもありますので、そうしたことを未然に防ぐ目的で…」
つまり認知症の入った契約者が騙されるような事態を回避したいのでダブルチェックしていると。
加藤綾菜的な疑いはされていなかったようで安心した。
結婚当初から「金目的の女」という謗りには慣れているけれど。
綾菜、私は君の味方だぞ。
【夕方】
証券会社を出て、仕事に必要な買い物などをする。
夫が「ちょっと早いけど夕飯食べに行こう」と言うので、近所の和食店へ。
食事中、やたらと時間を気にしている夫。
「そろそろ行こうか」
「何かあるの?」
「いや、今日は早めに帰りたくて」
飲み足りなかったけれど、まぁ家で飲めばいいやと思って帰路に。
あ、ハイボールのグラス無いんだった…。
【夜】
家に帰って一息ついていると、宅配が来た。
夫が「あ、間に合った!」と玄関へ走って行く。
意気揚々と箱を抱えて戻って来て「凛ちゃん開けてみて」と言うではないか。
今朝グラスを割ってすぐ、Amazonの最速便で新しいバカラを注文したのだと言う。
割れ物だから直接受け取りたくて早めに帰ったらしい。
「凛ちゃんごめんね。これで許してくれる?」
「えー!ありがとう!!嬉しい♡」
初代と同じ形は見付からなかったそうだけど、二代目のフォルムも素敵。
ビアンヴニュ、バカラ。
これからよろしくね。