ゆたかさ探しの旅は続く
ゆたかさ。なんて素敵な言葉なんだろう。
人々は、いつの時代も「ゆたかさ探しの旅」をしてきていると思う。
ときに働くこと。ときに食べること。ときに家族や友人と過ごすこと。
採用や就職という仕事をしていると、その人にとっての「ゆたかさ」の定義がまるで違うことに、いつも面白さを感じる。
そして、一人ひとり、歩んできた「ゆたかさ探し」も違う。
「お金があることがゆたかさだ」というのも、昔からお金持ちだったから、そのレベルを落としたくない!という人と、昔は貧乏だったからこれからはのぼりつめるんだ!という人がいる。
コロナという災害によって、人々はまた、新しい「ゆたかさ探しの旅」を始めたように思う。
お金があっても、それを楽しむ場が減った。一方で、時間というゆたかさを手に入れた人もいる。
新しい自分の特技が仕事につながり、第二の人生をスタートしたり、今のままではマズいと思い、視点の転換で生き残りをはかったり。
働き方も変わり、生活も変わった。それで、いいと思う。
今この瞬間は、生きるか死ぬかという状態にあるかもしれないが、それもまた「ゆたかさ探しの旅」の一歩。
一人っ子、京都で生まれ育ち、両親に愛されて大きくなった。
生活に困ることもなく、不自由なく生きられることが「当たり前」と思っていた。
学校が始まり、いろんな価値観の人と触れ合うことで「充実した人間関係」がゆたかさだと感じ、就活が始まると「自分の成長できる環境」をゆたかさの指標にしていた。
そして、社会に出て、丸三年。
生活に困ることなく、不自由に生きられること。
これが、今の私のゆたかさだ。
私は今、また「ゆたかさ探しの旅」に出ようとしている。
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