武士道入門18 「武士の情け」

「仁」の精神を表すものとして、武士が示す憐憫の情を指す言葉が「武士の情け」 というものです。
これはいまでもよく使われる言葉。でも、その意味は非常にわかりにくく、解釈が さまざまにあります。

その意味は、次のようなところでしょうか。
「名誉を重んじる武士が、敵であってもその名誉を考慮し、辱めることを避けた」精神と。

たとえば作家である私が、販促のため、自分の本を本屋さんで買っていたと しましょう。それをたまたま編集者さんが見たとします。
「夏川さん、自分の本を買っているんですね!」なんて声をかけようとして、ちょっと待った! あえて気づかなかったフリをしてあげよう......。
これを「武士の情けだ」どと言うわけです。

さすが武士の時代は、もっとシビアでした。
というのも、どんなふうに「情 け」をかけたかという話で、よくあるのは、「斬り殺してあげた」というもの。
その話は『武士道』でも紹介されています。熊谷次郎直実、の物語ですね。

直実(なおざね)は、源頼朝に仕えた武将。
非常に強かった武士ですが、新渡戸さんが紹介しているのは、「平家物語」や能の「敦盛」で知られる平敦盛とのエピソードです。
一騎打ちで直実は敵だった彼を打ち負かすのですが、兜をとってみると、相手はまだ少年のような武士です。
それでも敦盛は「生き恥をさらすよ りは名誉のため」と、首をとってもらうことを懇願しました。

「それより生きよ」と直実は説得するの ですが、彼は聞かない。
やがて源氏の軍もやってくる......。それなら「他の者に殺されるよりは」 と、直実は敦盛にトドメをさしたわけです。
しかし、これ以後、直実は武士という生き方を捨てて、僧侶となります。
そして死後の国がある西の方向に背を向けないようにして、全国行脚を続けたといいます。

こんなふうに相手を殺してあげる「武士の情け」。
いまの世の中では、認められる話ではありません。
失敗して落ち込む人がいても、直実のように「あきらめるなよ。やり直せばいいじゃないか」と真剣に説得するのが筋でしょう。

けれども現代のように「ダメでもともと」とか、「失敗したらそのとき考えよう」という、楽天発想ばかりが本当に正しいのか?
もちろん生き恥を偲んで、武士の情けで殺されるならば、私など何度、出版社の方々に斬られているかわからない(笑)
ただ、結果を出さなかったことを「恥」とする気持ちは持っていないと、「次は成功するぞ」という奮起も起こりません。
常に真剣勝負するスタンスは、どこかで忘れてはいけないなと思います。

やるからにはきちんと覚悟をもって「結果」で応えたい。
結果が出せなかったら自分の恥であるからこそ、全力を尽くして、やるべきことをやりたい。
そういう気持ちがあってこそ、仕事のレベルは高まっていくのでしょう。

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