武士道入門23 武士道は死ぬことと見つけたり

新渡戸稲造さんの『武士道』。
「誠」に続くのは「名誉」ですが、これこそまさに武士道を特徴づけるもの。
いわば「武士であるという名誉」を守るための道徳規律こそ、「武士道」にほかならないわけです。

武士は武士としての名誉を守るために、徹底して命をかけた。
そうでなければ、武士として生まれた意味がない。
これはミッション(使命)であり、目的や目標というより、「存在証明」のようなもの。
だからこそ、「武士道は死ぬことと見つけたり」なんて言われるわけです。

いまだ「武士道」が人々に衝撃を与えるのは、この「名誉を重んじる精神」が世界各国の人類史を比較しても、「かなり突き抜けている」からでしょう。
たとえば「小判一両」という落語があります。
あるとき凧売りの商人とケンカをしている子供がいた。聞くと貧乏な浪子で、飛ばされた凧を「自分が拾ったから自分のものだ」と言って聞かない。
それで通りかかったザル売りの商人が、「可哀想だ」と、これを買ってあげるわけですね。
細かいお金がなく、一両小判を出して、これを持っていけ!.....と。
父親の浪人が来て、返そうとしても「いい」と言って、ザル売りは逃げてしまいます。

あとでザル売りは子供のことが気になり、友だちになった別のお侍さんと2 人で、この浪人の家を訪ねます。 するとどうなっていたか?
浪人は自害して果てていたんです......。
「商人から恵んでもらうようになっては、武士失格だ」
そんな理屈でした。

現代の感覚で言えば、あまりにバカバカしいことかもしれません。
侍だって落ちぶれることはある。ときには民の慈悲にすがったって、仕方ないじゃないか。
でも、それを許さないのが「武士道」だったわけですね。

ひるがえって現代で考えてみれば、警察官だって、ときには不正をはたらく。
政治家だって人間だ。お金儲けをしたい。
仕方ないじゃないか......ではなく、これを「許さない」のが武士道だったわ けです。

自分は何の役割で、いま、この社会に存在しているのか?
「その立場にいる者としての名誉」に、徹底的に厳格であることを要求しました。確かに、武士の時代から150年近くが立った日本。
この誇り高い心は失わ れつつありますよね......。
だからこそ、いま『武士道』は、もっとも読まれるべき本。私はそんなふう に思います。 

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