武士道入門24 大富豪との縁談を断った学者の秘密

『武士道』の「名誉」について述べる8章で、新渡戸稲造さんは、こんな話を紹介しています。
「新井白石という武士が、若い頃に受けた些細な侮辱に対し、妥協して人格を傷つけられることを拒んだのは正しいことでした」

新井白石というのは、日本史でも習う著名人。
儒学のほか、歴史学、国学など、幅広い学識で知られた江戸時代の学者です。
しかも武士としては旗本の身分でありながら、6代将軍・家宣のブレーンとなり、「正徳の治」と呼ばれる断固とした政治改革を行なっています。
ぬくぬくやっていた保守派の武士たちからは、「鬼」とまで呼ばれ、恐れられました。

ただこの方、非常に子供のころから苦労していて、武家に生まれながらも、お父さんは藩を追放になりました。
各地を放浪しながら定職につけず、貧しい生活をしていたそうなんです。
そのなかで学問を究めたのですから、ものすごい努力家だったんでしょう。
その彼を「素晴らしい!」と絶賛したのが、材木商として大成功した大金持ち、 河村瑞賢(ずいけん)という人物でした。
瑞賢は孫娘を白石に嫁がせ「家を自由に使っていい、お金も自由に使っていい、商人になんてもちろんならなくていい、身分はそのままで学問を極めてくれ」という提案をしました。白石にとっては「逆玉の輿」ということ。

ただ、これを白石は断ります。

白石は、こんなふうに述べました。
「中国の格言ですが、小さなヘビが子どもに傷をつけられた。そのヘビはやがて大蛇になったのですが、一緒に小さな傷も大きくなってしまった。だからその大蛇は、一生、『傷がある弱いヤツなんだ』というレッテルを貼られることになった」

つまり「いくらお金がないからといって、武士の自分が商人のお世話になっていたら、私は一生、武士としての恥を背負わなければいけなくなる。
お気持ちは有り難いのですが、武士として生まれた以上、志を貫くためには、いま頼 るわけにいかないのだ」ということですね。
身分制度があった時代ゆえの理屈ですが、いずれにしろ妥協をゆるさなかったからこそ、後に将軍補佐となる大出世も可能だったわけです。

「実」より「名誉」をとる。長い目で見れば、それが正しい選択である......ということは、現代でもあるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?