武士道入門28 武士たちが主君にはむかうとき

「武士道は、私たちの良心が、主君の奴隷になることを求めてはいません」

新渡戸稲造さんの、この言葉。
「じゃあ、武士が主君に逆らうこともあるのか?」
という疑問も出てきますね。
じつはそういう制度がちゃんと、公認されて存在していたんです。
これが「主君押込め」という制度でした。

この分野の研究で功績を残した
笠谷和比古さんの『武士道と現代』という本では、
実際にあった例をいくつか紹介しています。

たとえば1706年、久留米藩のケース。
ときの藩主・有馬則維は、財政再建のため、
家臣たちの土地を没収。
「その代わり給料で賃金を払う」という改革を実行します。
家臣は大変、困ったのですが、何より貧窮する民衆を助けるため。
やむなく お殿さまの命に従います。

ところが則維は、さらに無茶をします。
民衆からの年貢を10分の1から3分の1に引き上げたんですね。
「それじゃあ民は生きられない」ということで、
農民一揆なども勃発しました。

そこで何とか悪法をやめさせようと、
家臣が一致団結して、このお殿さまの身柄を拘束し、
監禁状態にしてしまったわけです。
で、国のため、悪制度を取り消すように求めた。

ここで藩主が認めれば復活もあったようですが、
「うるさい、オレは殿さまだぞ!」と、則維のほうは聞かない。
そこで最後には「強制隠居」ということで、幕府にお願いし、
彼の息子に藩主を引き継がせてしまったそうなんです。

このようにリーダーがリーダー失格であれば、
家臣たちは「それを強制排除する」という権利を有していました。

もちろん、これはある意味、命がけです。
一致団結して監禁することができ なかったら、
「逆らうヤツは切腹」と、死を言い渡される可能性すらある。
ただ、あまりにもお殿さまが乱心の場合、
家臣たちがそれを改めさせないの は、
「武士として恥ずかしい行為」ともみなされていたんですね。

むろん、そんなに都合よく正義が実行されたというケースは、
決して多くはなかったようです。
ただ、ここからも武士が「主君絶対」の存在だったわけではない。
もっと大 きな倫理観に対して「忠義」を果たすべき存在だった
......ということはわかると思います。

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