歴史入門33 歴史を作った女性たちの痕跡
画像、大田区の池上本門寺にある
「紀州徳川家墓所」という場所。
じつは池上本門寺でも、
非常に隠れたような場所にあり、
日蓮聖人が亡くなった場所にある宝塔から、
「こっちに何があるんだろう?」と
山道のような階段を登っていったらありました。
紀州といえば、和歌山県ですが、
正式な墓はそっちにあるのでしょう。
でも、なんでこのお寺にずらりと
立派な墓が並んでいるのか?
紀州徳川家の祖というのは、
じつは今やっている大河ドラマにも
登場していました。
家康がちょっと浮気をして子供を作り、
その子を引き取って離れていった
「お万の方」です。
松井玲奈さんが演じていたと思います。
時代はかなり前後しているのですが、
この子供がのちに紀州徳川家の創始となる
徳川頼宣さん、でしょう。
正室である築山殿が死んでから、
歴史上ではお万の方も側室に戻っています。
この徳川頼宣さんの妻になったのは、
加藤清正の娘であった
八十姫(瑤林院)という方。
池上本門寺の建築には
加藤清正さんが大きく関わっていますから、
その関係でこちらに大きな墓所も作られているわけです。
ちなみにお万の方のお墓も、
八十姫さんのお墓も、こちらにちゃんとありました。
史跡にもなっているようですね。
にしても、
お万の方は家康の側室でありながら、
ずっと地味な立場に置かれた方。
八十姫さんに至っては、
出自の加藤家自体が、
江戸早々に取り潰しになっています。
ところが彼女たちが築いた一族が、
やがて暴れん坊将軍の吉宗や、
幕末の家茂などの将軍を世に出していきました。
生き残ることで、最終的には天下を取る。
考えてみれば家康の教えの1番の実践者が
彼女たちだったわけですね。
必ずしも時代の勝者ばかりが
歴史を作っているわけではない。
そのことはよく知っておきたいものです。