武士道入門8 最強の武将が熱心に仏教を信じた理由

「仏教と武士道」という話をしたいのですが、取り上げたいのは上杉謙

信。越後を治めた戦国大名です。

 そこで上杉謙信ですが、この人物、じつは物語によって女性として描かれています。
2005年にゲームが発売され、その後、漫画やアニメで人気になった『戦国BASARA』でも、上杉謙信は女性として登場しました。
でも、どうして女性なんだろう?

実際に「女性説」はあるのですが、この謙信さん、数多いる戦国大名でも、 ちょっと特殊。
それはまず生涯、結婚していないということです。
いまでこそ生涯独身は珍しくないのですが、跡継ぎを残して家を守るために 一夫多妻性をとった戦国時代に、武将としてこれは非常に珍しいことです。
もう1つ、この上杉謙信さん、領土拡張など、自分の利益のための戦争とい うのは、ほとんどやっていません。
武田信玄と戦った有名な「川中島の戦い」も、 国を追われた関東管領・上杉憲政を助けるための戦でした。

そんなふうに誰かに請われては軍を挙げ、この人は生涯、戦にあけくれま た。
一方で敵の信玄に塩を送ったり......。 
そんな「慈悲の人」のイメージが女性で描かれることになったのでしょうが、 一方では「戦趣味=バトルマニア」とも言われます。

どうしてこんな矛盾が生じるかといえば、やっぱり謙信が、熱心な仏教徒だっ た......ということが大きいのです。
新渡戸稲造さんは、こんなふうに書いています。 「仏教は武士道に対し、運命にすべてを委ねる穏やかな感覚や、避けられないものに対しても冷静に従う強さをもたらしました」 

謙信は出家名。言ってみれば「お坊さんになった」ということで、そこから 彼は戦士の家に生まれながらも、私利私欲に生きることを捨てました。
しかし戦士の定めがある以上、悟ったように戦いは避けなかった。
そこで「頼まれれば出陣する」という形で、己の役割を凄まじいまでに貫いていった...... ということなんですね。
やはりこの生き方は、「武士道」的と言えるでしょう。

とくに迷いを断ち切って自己の到達を図る思想は、サムライの生き方に一致
し、それによって「死も軽んじられる」ようになっていったわけです。
だから 謙信ほど厳格ではありませんが、武田信玄をはじめ多くの武将が「出家」しているし、そもそも戦国時代以前は、本願寺の「一向宗派」で知られるように、 お坊さん自体も武器を持って戦っていました。

「人の命を奪うこと」は、「仏教徒であること」に反さなかったんですね。
もちろん武士の時代の美学は、いまの時代に合うわけではありません。
ただ、「本気で何かをする」という覚悟に関し、私たちに教えてくれるものは確実にあります。

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