見出し画像

武士道入門11 ソクラテスと武士道

武士の教育で重んじられた、「知行合一」。
行動し、自身の体験をもって、はじめて知識はモノになる......。
もともとは中国の王陽明という儒家が提唱した教え。
それが日本の儒学者に重んじられました。

ただ新渡戸稲造さん、まったく別時代の方を、この教えの実践者に挙げてい ます。
それがギリシャの哲学者、ソクラテスです。
紀元前5世紀という、大昔に生きたソクラテス。
日本の武士を知っていたわけがないのですが、とかく『武士道』には、この方が何度も登場しています。
それだけ個人的にも好きだったのでしょうが、理由としては、やはり彼は「武 士道」的なんです。

ソクラテスは、自分はまだまだ体験も足りず、モノにできていない知識がいっぱいある。
だから基本的には「無知である」......と考えていました。
一方で世の中には、経験も乏しいのに、「オレはモノを知っている!」と、 鼻高だかの人が大勢います。
ソクラテスは、「本当のところ、どっちが賢明な のか?」と疑問を持ち、それを証明するために、歩き回ってはいろんな人に議論をふっかけ回ったわけです。

そんなことをしたものですから、彼は弟子たちと、エラそうな大人が論破さ れるのを楽しみにする子どもたち以外には、嫌われてしまいました。
相手はたいてい、己の未熟を知ることになりましたから。
多くの人のプライドを傷つけた結果、名誉損害のような訴えを受け、ソクラ テスはアテネを追放されるか、あるいは自害するかという、重い罪を宣告されてしまうわけですね。

「われわれを待っている運命が現在以上に過酷なものであっても安易なものであっても、とにかく不正を行なうことはいかなる場合にも、これを行なう者に とって悪であり、恥辱であるという僕たちのあの頃の主張には、いささかも変 わりがないのか」
何の書物も残していないソクラテス。
その言葉は、すべて弟子のプラトンが書き残したものですが、友との対談形式で書かれた『クリトン』よりの引用です。

つまり、皆が間違っているとしても、国の法律で「アテネで生きてはいけな い」と決められたなら、名誉あるアテネ市民としては、アテネにて生を全うするのが正しい道ではないのか......。
この選択、武士の「切腹」と新渡戸さんは対比しますが、悩んだ末に、自己 の信念を証明するため、ソクラテスは毒を飲んでの死を選んだんですね。

もちろん、それが正しいかどうかはわかりません。
しかし名誉を貫いた彼の 哲学は、2500年以上の歳月が流れた現在も、大きな影響を私たちに与えて いるわけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?