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武士道入門16 大久保彦左衛門の仁

「勇」の次は「仁」。 新渡戸稲造さんは「仁」を、このように説明しています。
「愛情、寛容、他人への同情、また憐憫の情は、常に至上の美徳と見なされ、 人間の魂の中にある最も気高い性質とされてきました」

こうした特質を重んじたから、「武士道」は「戦士の心得」を超越し、「道徳理念」にまでなったわけです。

とくに「江戸時代」は、「平和な時代だけど武士がいる」という、長い「矛盾」を抱えた時期でした。
だからこそ「エリートだから仁を求められる」という傾向は強くなります。
 で、その見本となった人の1人が、大久保彦左衛門(正式には大久保忠教・ ただたか)という方です。

「天下のご意見番」と言われた大久保彦左衛門さん。
伝説はたくさんあります。
有名なのは「たらい」の話。

家康から秀忠の代になると、将軍家の権威を上げるために、「旗本は籠に乗って登城するのを禁止」というお触れが出されます。
いままで徳川家を支えてき た臣下の者たちは、それはあんまりじゃないかと嘆く。
そんななか、彦左衛門さん。
「あっそう。でも俺が乗っているのは、籠じゃないからね」と、籠の代わりにタライに乗って、それを担がせてお城にやってくるわけです。
これは痛烈ですよねえ。
その他、一心太助を部下にして、江戸の世直しをしたという話もあります。

まあ、これらほとんど伝説(一心太助は実在したそうですか)なんですが、 背景にはやっぱり、「彼が人格者で非常に評判がよかった」ということがありました。
もともと彦左衛門さんは、徳川家の天下に大きな功績のあった人物です。
けれども平和な時代になると、自分は陰役に徹し、職がなくなった武士たちの就職の斡旋にずっと奮闘していたとか。
一方で、「戦った武士たちの活躍が忘れ去られないように」と、『三河物語』 という本の執筆も続けたんですね。

こういう活動をしていれば、「大久保さん、流石だなあ」ということになり ます。
変わりゆく時代でも、彼がいることで、皆が「武士の誇り」を忘れなかった。これが結局は、後世に語り継がれる伝説を生んでいったわけです。

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