武士道入門40 武士は決してあきらめない!

『武士道」の12章で長く語られている「切腹」について、最終的に新渡戸稲造さんが強調しているのは、次のようなことです。

「生きることが死ぬことよりずっと恐ろしい場面で、あえて生きることこそ本当の勇気なのである」
 もとは、イギリスの医学者の言葉。しかし新渡戸さんは、「これは武士道も同じだった」と強く主張しています。

 新渡戸さんは「自殺=罪」とするキリスト教徒でしたから、ここには主観的な感情も込められているでしょう。しかし武士の時代でも、生き抜いて、生き抜いて、最後まで目標を貫こうとした者は、やはりいたのです。

 新渡戸さんが紹介しているのは、山中鹿之介(幸盛)という人。
 月に向かって祈ったとされる、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という言葉は有名ですね。

「7つの困難と、8つの苦しみを自分に与えてみよ。すべて乗り越えて、最後は勝利をつかんでやる!」

 彼が叶えたかった願いとは、「お家の再興」です。
 鹿之介は、もともと尼子氏という、いまの島根県を領有していた大名に仕えた武将。これが戦国時代に毛利氏に破れ、主君は幽閉の身になるわけです。
 そこで再三にわたって尼子氏再興の戦いを、彼は毛利氏に対して挑みました。

 捕まっては脱走し、追っ手を振り切って生き抜き、織田信長を頼って再チャレンジ。負けても再びリベンジする……。
 その戦いは12年間に渡ったそうですが、最後は暗殺者に討たれてしまったようです。

 それでも彼の死後、江戸時代になってから尼子氏の領地は小規模ですが、再興されます。
 さらに山中鹿之介の子は、「自分は武士はやらない」と商人に転向、それがやがて「鴻池財閥」という豪商の起源になっていくわけですね。
 のちに三和銀行となり、現在は三菱東京UFJに統合された金融グループの祖。「あきらめない精神」は、何よりビジネスに生きるということの証明かもしれません。

 いずれにしろ武士が「切腹」という道を選ぶことがあったのは、それが「己の道を貫くための最善の策」とみなしたとき。
 彼らは「あきらめて命を絶つ人」では、決してなかったわけです。

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