武士道入門9 孔子が本当にわかってほしかったことは?

2章の「武士道の源流」に関して、神道、仏教と述べてきましたが、最後は「儒教」になります。

儒教というのは、もちろん孔子さんの教え。
彼の言葉を集めた「論語」は、 現代でも非常に人気があります。
そして武士道は「儒教の影響を強く受けた」と言われます。

実際、武士が 最もよく学んだのは儒教の教えであり、指南したのも多くは儒学者たちでした。
では、武士道もベースになったのは、メイド・イン・チャイナの儒教なのか? ひいては日本人の思考のベースにも、やはり儒教があるのか?

確かに新渡戸さんは、「道徳教義ということでいえば、武士道の大きな源泉 となったのは、何といっても孔子の教えということになるでしょう」と言って います。 
でも一方で、「孔子の教えを取り入れたのは、日本人が共通して重んじ、大 事にしてきたことの確認に過ぎません」と言っているのです。
そう、じつは私たち日本人、孔子の教えを学問に取り入れたようで、本当は 一番重要なことを無視したんです。
だから武士も日本人も「儒教的」でなどまったくない、と私は思います。

どういうことかといえば、まさに孔子の教えは「リーダーシップ学」でした。 下々が守るべき「規律」ではありません。
そもそも孔子さんは、どういう人だったのか? 
別に彼は宗教家ではありません。思想家になりたかったのでもなく、本当は「政治家」になりたかったわけです。

ときは中国に統一した王朝ができる前の、紀元前6世紀という昔のこと。
「春秋戦国時代」と言われ、中国では小さな国が争いながら、覇権を競ってい ました。
 この時代に孔子さんは、「立派な国をつくるにはこうしたらいいんだ」とい う自説を掲げて、諸国に説く活動をしていたわけです。

では、その説がどんなものかといえば、簡単に言ってしまえば「民衆を最優先にする『いい王さま』になりなさい」ということ。
ときは各国戦乱の時代。こんな、ど真ん中直球の正論が、簡単に受け入れら れるわけもありません。
おまけにその弟子の孟子さんときたら、「悪い王さまの国は滅ぼされるべき だ」と、「易姓革命」という大胆な説まで唱えます。
民衆はいいけど、王さまはこれ、困ってしますよね。

だから最初の儒教、支配者側には、あまりウケがよくなかったんです。
ただ、「その通りだ!」という賛同者たちは、民衆の間にどんどん広がって いきました。
やがて彼らの中から優れた学者が表れ、それが後の中国王朝に用 いられるようになったんですね。

王朝に儒教が認められると、リーダーシップ学でなく、生活規範や道徳教義なども広く研究されるようになります。
じつは日本が取り入れた儒教とは、主にこっちの部分なんですね。
朱子学や 陽明学と呼ばれるものですが、もちろん国に都合の悪い部分も、「何のために 学ぶべきなのか」という部分も、曖昧にしています。
だから「儒教が武士道を生んだ」というより「武士道の理屈に儒教を使った」 と言うほうが正しいわけです。 

それでも日本で儒教を研究した人たちには、「何かおかしいぞ」「いまの幕府 でいいんだろうか?」と思う人間が出てくる。
それが後の倒幕へとつながって いきます とすると、ここではじめて「孔子の思い」が日本に届いたのかもしれません。
現代の優れたリーダーが孔子を学ぶのも、やはり理に適ったことなんですね。


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