歴史入門3 未来のために命を賭けた船乗りたち
今から162年前の1月13日、日本初の蒸気船で、アメリカへ旅立った人々がいました。
実質的な館長は勝海舟さん。
通訳のジョン万次郎のほか、福沢諭吉も乗船していたのですが、これが「咸臨丸」という船。
旧暦のことではあるのですが、
1月13日は「咸臨丸出航記念日」とされています。
咸臨丸が品川を出航したのは、1860年のこと。
目的は「日米修好通商条約」の締結のため
……といって、正式な条約締結者たちは
アメリカの「ポーハタン号」に乗って出かけたのですが、
「今後のことを考えたら、
江戸海軍の船も随行すべきだ!」と
武士らしい発想で、まだ練習中だった新軍艦を
強引にアメリカへ随行させたわけです。
13日に品川を出航し、19日に浦賀へ。
それから38日間をかけた航海で、
サンフランシスコに入港しました。
実際、咸臨丸にはアドバイザーとして
往路ではアメリカから、ジョン・ブルック大尉も乗船しています。
それでも日本船初の太平洋横断、
船員はつねに水浸しで、すぐに感染症が流行。
水夫60人の4分の1くらいは
いつもベッドで寝込んでいる状態だったそうです。
実際、サンフランシスコ到着後には3人が死亡し
7人はアメリカの病院に残すことになったとか。
そんななか、日本海軍を指揮しているくせに
船が苦手な勝海舟は、始終、
船酔いで苦しみっぱなしだったとのこと(苦笑)。
でも往路でなんとかコツをつかみ、
帰路は日本人のみの指揮で
45日の航海を無事に乗り切ったんですね。
不足した船員は、
アメリカ人を現地で雇ったそうです。
その後、あまり幕府の軍艦としては活躍することもなく、
明治政府に接収された咸臨丸。
北海道の開拓に運用され、
1888年に遭難して沈没しました。
とはいえ日本人初の太平洋横断を成し遂げた事実は、
欧米に対抗するための
大きな自信を授けたことは事実でしょうね。
福沢諭吉の啓蒙活動も、
この経験があってこそのものでした!