武士道入門12 命をかけた「武士の正義」

3章からいよいよ、『武士道』の本論に入っていきます。
ここでまず述べら れるのが、「義」という概念です。

義=「正義の道理」に基づいた断固とした決断を実行すること。

新渡戸稲造さんの解釈は非常に明確ですが、しかし「正義とは何だ?」と問われると、非常に難しい問題になってきます。

「白熱教室」で有名なマイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話を しよう』(早川書房)では、こんな問題が出されています。
・あなたは線路を見下ろす橋の上に立っている 
・向こうから時速100キロで暴走する電車が突っ込んできた
・前方には作業員が5人、このままでは彼らに逃げ場はない
・ふと隣を見ると、橋の上から太った男が見下ろしている。彼を突き落とせば、電車が止まり、5人の命が助かるかもしれない...... さあ、正義に基づいた行動として、あなたはどんな行動をとるべきだろうか?

1人を殺して5人を助けるのは、はたして「正義」なのか?

これは難しいですよね。無茶な気がします。

ただ、こうした考えの延長上で、多くの戦争は起こっているわけです。
平和のため、大多数の幸福を守るため、特定の宗教、民族の自由を守るため、たいていは「正義」の名のもとに殺し合いが生まれています。

これはもちろん、武士の時代も変わらないことでした。
だから新渡戸稲造さ んは、「正義がねじ曲がった義理が、時の経過とともに堕落していった」と、『武 士道』の記述において嘆いているわけです。

ただ、先のサンデル教授の問題、ここにはない、もう1つの回答が存在します。「自分が電車の前に突っ込んだらどうなるか」というものです。

そんな赤の他人のために、自らを犠牲にするような義務は、普通の人にはありません。しかし「武士」という身分の人間は、どうか?

「武士の世界」では、公然とこれが実行されていたことも、また事実なのです。

たとえば織田信長に仕え、山陽地方の攻略を任されていた秀吉を苦しめた毛利氏の家臣に、清水宗治(むねはる)という人がいます。

彼は岡山の高松城の城主でしたが、秀吉が「岡山一国をやる」と言っても動
じません。
最後は篭城し、水攻めを受け ながらも、断固として国を守りました。

けれども戦の最中に「本能寺の変」 が起こり、織田信長が殺されてしまい ます。
情報を密かに手に入れた秀吉は、 首謀者の明智光秀を討つため、いちはやく京に戻ることが必要になりました。
そこで早々と戦争を終結させるため、「お前が切腹すれば、配下の兵は全員助ける」という条件を出したわけです。
すでに覚悟を決めていた宗治にとっては、ここで潔く腹を切り、「裏切らず に君主のために戦い」しかも「仲間に犠牲を出さない」という「正義」を貫きます。

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の名を 高松の苔に残して」

宗治の辞世の句だそうですが、これが「武士の正義」だったわけですね。

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