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賢者の言葉56 新渡戸稲造さん最後の仕事

「死の価値を定むるものは生であると思う。
しかして生の価値を定むるものは義務である。
死を軽んずるということは、
義務を軽んずるということになると僕は思うている」

こちらは新渡戸稲造さんの言葉。
言うまでもなく私が現代語訳している
武士道』の著者ですが、
たびたびブログで紹介するだけでなく、
Noteのほうで、私は過去に書いた解説も
ずっと連載で発信しています。

ブログに書くのをすっかり忘れていましたが、
その新渡戸稲造さんの命日が、
10月の15日でした。
今から91年前、1933年のことですね。

(夏川賀央の公式ブログ:https://www.kenjabook.com/

新渡戸さんが亡くなった場所は、
カナダのビクトリアという町でした。

実は私、行ったことがあります。
画像は有名な「ブッチャート・ガーデン」ですが、
作られた庭園も荒削りの自然も、
非常に美しい場所。
でも、そんな場所で新渡戸さんは、
何をしていたのだろう?

1933年といえば、日本が戦争へ向けて、
軍国主義をひた走っていた時期。
同年に日本は国際連盟を脱退しています。

その国際連盟で理事まで務めていた新渡戸さん。
すでに70代になっていましたが、
なんとか戦争を回避しようと、
必死にかけずり回っていたんですね。

カナダのカルガリーにある
日本国総領事館のホームページに、
「新渡戸さんの最期の言葉」というのが
紹介されています。

「地球上すべての諸国民の親密な交流により、
激情ではなく理性が、私利私欲ではなく正義が
各人種・国民の調停者となる日が
徐々に訪れると考えるのは望みすぎだろうか」

カルガリーで行なわれた
「太平洋問題調査会議」での発言だそうですが、
翌月に同じカナダのビクトリアで
彼は亡くなったんですね。

あらためて「死」に関して述べた、
新渡戸稲造さんのメッセージ。

『武士道』の著者らしく厳しいのですが、
「義務」というのは、
自分が背負った役割のようなもの。

「生まれてきて死ぬまでに、
自分がすべき役割を果たそうと努力しないのでは、
動物と同じことになってしまう」
という趣旨で、このメッセージは続きます。

そんな死生観だからこそ、
最期まで新渡戸さんは自国の方針に反しても
「自分がやるべき」と思ったことを
実行しようとした。

日本がおかしくなっていった厳しい時代に
こんな方がいたことは、
しっかり覚えていたいですね。

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