武士道入門33 武士にもいた数学の天才!

『武士道』の「サムライの教育と訓練」の章で、新渡戸稲造さんは、こんなことを言っています。

「軍事の教育として本来は必要なのに、武士道にはまったく欠けていた勉強項目が『数学』でした」

そう、確かに武士は、理系の学問を怠っていた……。
ところがこの潮流に逆らうように、江戸時代の武士のなかから同時代のヨーロッパの科学者に匹敵する、「天才数学者」が生まれていたのをご存じでしょうか?

その人こそ「算聖」と呼ばれる関孝和という人物。
17世紀に群馬県で生まれ、甲府藩で働いた武士とされています。

彼はその後、江戸で数学を研究していたとされますが、あまり詳しいことはわかっ ていません。
ただ、その実績はすごいんです。

・ヨーロッパの数学者、ベルヌーイより早くベルヌーイ数という原理を発見していた
・円周率を小数第11位まで計算
・ニュートンやライプニッツの「微分・積分」に迫る計算式を、すでに見出していた

つまり、近代科学には遅れていた江戸にあって、この人は同時代のヨーロッパを凌駕する数学理論を、独自につくりあげていたんですね。
むちゃくちゃす ごい天才だったわけです!

そんな天才数学者でありながら、やはり彼は「武士」。自身でほとんど、自分の業績を明らかにしようとしませんでした。

『江戸の天才数学者』(鳴海風著・新潮選書)という本によると、関孝和さんは数学の研究を「皆の役に立つからやっている」というだけで、それを大々的に 宣伝したり、商売に利用するということが、ほとんどなかったそうです。
弟子から「教科書をつくってくれ」と言われ、書いた本が1冊あるのみ。
だからこそ業績はやがて伝説となり、天才さはどんどん誇張され、「日本が生んだ天才」としてカリスマ扱いされていきます。

本人が生きていたら苦笑するかもしれませんが、この天才も結局は、己の持っている才能を生かし、ただ愚直に「数学」を世に教え続けた1人の武士だったんだな、という気がします。

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