学ばない事は死を意味する

どうも、おはこんにちばんは。夏川です。
今日のお酒は〜、と言いたいところですがすみません。金欠なのでスト缶で済ませてます。

そんな事はさておき。
今日は職場でのふとした会話から、僕の考えをおこがましくも書かせて頂こうと筆を執った次第です。

【事の発端】

まぁ発端は簡単なことでして、ひょんな事から仕事で別部署にいる歳上の後輩と仕事をすることになりました。その後輩さんは中途採用で、前職は高校教師。他人に物事を教える職業の方でした。凄いですよね。資格や免許抜きに、僕はそんなことできません(したくないって言った方が適切かな)。

んで、その後輩さんと仕事の話をしてて「この作業アナログだよね、弊社はICTの導入を推してるから、いっその事色んな事務に導入すればいいのに。」という話になったわけです。

しかし後輩さんからの返答は以下の通りでした。
「お年寄りやネットを理解していない方もいるので、だからこそのアナログじゃないんですかね?」

なるほど確かにそれはそうだ。でもね…
続きます。

【人間の学習に年齢は関係ない】

上記のサブタイトルが私の結論です。

歳のせいにして新しい事から逃げる事は容易いです。そして人間は変化を嫌う生物です(私も小学生の頃から変化が嫌いでした。新しい環境への1歩が嫌いでした)。

恐らく大多数の人間が劇的な日常の変化を嫌うでしょう。僕も未だにそちら側です。

ですけどね?

そうやって新しいものを排他的な目で見ていると、いつの日か自分が古の遺産になってしまうんです。
変化に恐怖する気持ちは分かります。僕も人間ですから。でもそうしている内にも世界は刻々と変化を遂げます。

なので私は後輩さんにこう言いました。
「分かるけどそれって言い訳だし、新しいものへの順応を歳のせいにして止めてしまうのは、学習することを諦めた負け犬の戯言ですよ」と。

キツい言い方ですが、これが現実だと思います。

実際お年を召した方でもタブレットを使いこなしてる方は大勢いますし、僕よりWordやExcelといった仕事に欠かせないツールを使いこなしている方もいます。

さらに言えば、若造ですが僕だって一応大学出てます。でも今も毎日勉強してます。仕事の事や趣味の事。そこから更に派生させて…興味がある事も、仕事で仕方なく勉強を余儀なくされた事も、それこそ好きな事をやるために苦手な事さえも…。

学習する能力はあらゆる生物が持ち合わせていますが、人間は特別強力にこの力を持っています。ならば使わにゃ損というものでしょう。

というか折角生まれながらにして授かった学習能力を使わずに生きるとか、それって生きる意味あるの?

学校の勉強をしろとは言ってない。自分に必要なことを学び続ける姿勢を持ち続ければそれは立派な勉強・学習です。

【結論】

とどのつまり何が言いたいかと言うと、

・時代の変遷を受け入れられないことを歳のせいにすんな
・何かに対して学ぶ姿勢を忘れるな
・学ぶことをやめた時、それは人としての死と同義である

です。
過激ですね。自覚はあります。

ですが人間、学ばずして何を楽しめましょうか。
私たちの好きな事さえ、まずは学ぶことから始まります。

もちろん初めは無知で構わないと思います。
というか無知じゃない初心者とか怖い。神かよ。
そして好きな事嫌いな事に対してトライアンドエラーを繰り返し勉強・学習をして、人は人と成るのでは無いでしょうか。

ネットの使い方を学ぶも良し、僕のように歌詞を書くために英語やラテン語、比喩で使うために重火器の種類や名前を学ぶも良し、好きな国で永住したいからその国の言語や文化を学ぶも良し…全ては勉強、学習です。

まずはやれ、やってから諦めろ。

そんな事をふとした会話で思いつく僕は、社会不適合者なのかもしれませんね。なので社会不適合者という定義にについて勉強しながら、今日は眠りにつくとします。

それでは。

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