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オーストリアのゼメリング鉄道で(1)

神(のようなもの)に遭ったことがあるような気がする。
あれはヨーロッパアルプスの上空だった。ぼくはヘリコプターの助手席に座り、アルプス山脈の東の端を走る列車を眺めていた。

それは実は仕事だった。アルプスを走る山岳鉄道を撮影していたのである。
撮影、といってもぼくはディレクターなのでじっさいに撮影するのはカメラマンなのだが。ぼくはカメラにつながったモニターを見て、あーでもないこーでもないと指示を出す役目だった。

ヘリコプターの操縦桿を握るのは、「NATOナンバー5」というパイロットだった。つまりNATOという軍隊の中で五番目にうまいということである。
この撮影は、彼のアルバイトだった。つまり、民間のヘリコプターをぼくたちが借り、彼が操縦する。
NATOナンバー5というからにはいかつい軍人を想像していたがそんなことはなく、小柄な優男だった。白人で色白(まあ当然だ)で優しい顔立ち。しかし、一見頼りなさげに見えるNATOナンバー5は間違いなく凄腕だった。

断崖絶壁がみるみる目の前に迫ってくる。手を伸ばせば届きそうな距離に思える。もちろん、本当に手を伸ばして届く距離にいたならば、ぼくの命はとっくになくなっているはずだった。

断崖に手が届かないのは、ヘリコプターにはローター、つまり回転翼というものがあるからだ。崖にぎりぎりの距離で接近するといっても、その分は計算に入れなくてはならない。
実のところ崖とローターの先端との距離は五メートル以上はあったと思われる。しかし、それにしたって横風の突風が吹いたりしたら崖に叩きつけられそうな距離ではあった。

線路はアルプスの山肌を削り取り、断崖にへばりつくように設営されている。当然ぼくたちのヘリコプターも、断崖すれすれに飛ぶことになる。

乗客の子供たちが笑顔で手を振ってきた。ぼくの乗るヘリコプターは列車に寄り添うようにすぐ横を飛んでいたのだ。
ぼくには子供たちに手を振り返す余裕はとてもなかった。ヘリコプターがあまりに崖すれすれに飛んでいたからである。ローターが崖や列車と接触しやしないかが気になってそれどころではなかったのだ。

列車はやがてトンネルに吸い込まれていった。山岳鉄道だけにトンネルの数はやたらと多い。崖と崖の間をつなぐ鉄橋や石を積み上げた橋もたくさん見かける。
設計者は列車が無理なく走ることが出来るルートをまず想定し、そのルートに立ちはだかる障害をクリアーする方法を考えた。どうしても避けられない山にはトンネルを掘り、渓谷には橋をかける。そういうプロセスを経て出来上がった鉄道あった。その名をゼメリング鉄道という。後に鉄道としては初めての世界遺産となった。

鉄道が作られたのは18世紀のことである。オーストリアのウィーンとイタリアのトリエステを結ぶという大きな目的があった。つまり、大都市と港。そのルートを最短距離にして、物を運ぶ時間をできるだけ短くするため、線路はアルプス山脈を越えていく必要があった。当時の土木、建築技術を考えるとこれを実現したのはすごいことである。大都市と港をつなぐ、基本的には交易、物流のための鉄道である。人間の欲望というのはさまざまなものを生み出すのものだ。

ぼくにとって、この時が海外で初めての空撮体験だった。人間誰しも、生きていけば様々な「初めて」を経験するものである。そしてその初めての経験や体験が、うまくいくか行かないかはその後の人生にかなりの影響を与えると思われる。
その後ぼくはヘリコプターやセスナ機に嫌というほど乗ることになった。気球にもけっこう乗った。まだドローンのない時代で、空撮するにはそういう手段しかなかったのである。一般の人にはとうてい体験できない回数と飛行時間であることに間違いないと思う。人生一度もヘリコプターに乗ることなく終える人だってかなりの数いる筈だから。いやそちらの方が普通であって、ぼくのような人間は少数派であるに違いない。
初めての海外での空撮はうまくいった。それも信じられないほどうまく。それは奇跡といっていいほどの空撮体験だったのである。

前述したとおり、ゼメリング鉄道はオーストリアとイタリアを結ぶ、そのためにアルプス山脈を越えて行く鉄道である。それゆえ線路はおおむね、切り立った崖に貼り付くように敷設されている。その鉄道と走る列車の迫力ある映像を撮影するにはアルプスの断崖絶壁になるべく接近する必要があった。とにかく、可能な限り近く。

迫力ある映像、我々が言うところの「力のある画」を撮るためには、対象に限りなく接近する必要があるのだ。これについてはかの名カメラマン、ロバート・キャパはこんな言葉を残している。
「もしあなたがもっといい写真を撮りたいのであれば、もっと対象に接近することだ」
と。
これはあらゆる撮影のいわば基本であって、昔も今も変わりはないはずだ。8Kカメラであろうとスマートフォンであろうと変わりはない。とにかくいい映像や写真を撮るためには、ワイドレンズで被写体に可能な限り近づくことだ。空撮に於いてもこの基本は変わらない。ワイドレンズでとにかく接近、これである。
いいカメラマンはこの基本を本能的にわきまえていて、やたら撮影対象に近づきたがる。接近接近また接近だ。誰に教えられた訳でもないだろうがこの点は共通している。逆に、やたらと望遠レンズを使いたがるカメラマンには望みがない。

ちなみに、カメラの、或いは撮影の学校を出たからといってカメラマンにはなれるものではないようだ。ぼくの知っている「いいカメラマン」は例外なく畑違いのところから来た、専門的な知識はほとんど学んでこなかった人たちだった。不思議なものである。どちらかといえばこの世界、本能というか、生まれついてのものが優先するのかもしれない。

この時同行していたカメラマンは、若い頃はずいぶん暴れたという。改造したオートバイで徒党を組み、けたたましい騒音を撒き散らしながら走り回った。つまりかつて「暴走族」と呼ばれていた人種であり彼はかなり大きなグループのリーダーだったというのだ。人は変われば変わるものだ。カメラや撮影について勉強などしてこなかった筈である。現場に入ってから自然とカメラマンという存在にのし上がっていったのだろう。しかしそういう経歴の持ち主だけあってやたら対象に突っ込みたがる点にはほとほと感心した。そこだけはさすがだった。とにかく、
「もっと近づいてください!」
とヘリコプターの中で、彼は叫び続けるのだ。つまり、崖を走る列車にもっと接近せよという叫びだった。

ちなみにヘリコプターの中での会話は、ヘッドセットを通して行われる。ヘッドホンとマイクが一体化したものである。当時ヘリコプターの空撮ではカメラを外に突き出すために後部座席片側の扉を取り外していた。最近ではカメラは機体の下、先頭部分や脚にケースごと取り付けられている。これは機内からコントロールでき、コンピューター制御でほとんど映像がぶれない特殊機材である。このため最近ではわざわざヘリの扉を外すことはなくなった。しかしそれはそれで寂しいものである。扉を外し、カメラマンが命綱をつけ、「さあ行くぞ!」となるあの高揚感、悲壮感が味わえないからだ。

NATOナンバー5のパイロットは、カメラマンがヘッドセットのマイクに向かって怒鳴り散らす度に軽く頷き、すーっとヘリの機体を崖に向けて寄せていった。ちなみにマイクを通しての会話なので別に怒鳴ることはないのである。しかし、扉を外してあり、ヘリのローターがたてる爆音と風が吹き込んでくるのでどうしてもそうなる。後に南米などで、型のうんと古い軍用ヘリや、整備の行き届いてない機体に当たった時は、本当に怒鳴り合いでしか会話が成立しないほどだったが。ヘリコプターに乗ると怒鳴る。これは人間の本能的習性といえるかもしれない。

とにかくNATOナンバー5パイロットの撮影対象への機体の寄せ方は絶妙だった。車を運転する人ならわかると思うのだが、運転する時はドアミラーなどの車体からはみ出した部分も意識に入れておく必要がある。ヘリコプターの場合、それはローターである。つまり、もし機体が崖すれすれ、例えばフロントガラスがあと1メートルの位置まで接近するとすればそれは墜落を意味する。機体の幅からはみ出したローターが崖に当たってしまうからだ。

注意深く見ていると、この回転するローターの端っこが、崖から1~2メートルのところまでパイロットがヘリを接近させることがあった。急に強風が吹いたらどうするんだろう? お終いだ。生まれて初めての空撮で、ヨーロッパアルプスの山中でぼくは墜落死するのだ。
(そういう運命であるならば、仕方ないか)
この時はそう腹を決めた。しかし不思議と恐怖感はなかった。それはやはり、パイロットの態度と操縦が極めて安定しており、ある程度安心して眺めていられたからだと思われる。

ところで、こういう時のカメラマンはどうしているかというと、恐怖心を感じないらしいのである。それはファインダーの中に集中しているからだ。そうすると周りが全く見えなくなるというのだ。
空撮が終わって、ヘリコプターが地上に降り、さあ命綱を外そうという段になって、実は命綱を自分の胴体には巻きつけていたがヘリの機体には結んでいなかったなんてことはよく聞く話だった。
また、線路の真ん中でこちらに向かって走って来る蒸気機関車を撮っていたらそのまま撥ねられて死んでしまったカメラマンもいたと聞く。ぎりぎりまで粘って逃げ遅れた訳だ。撮影に夢中になるあまり。迫力ある映像を撮ろうとするあまり。それほど彼らは撮影中、ファインダーに集中しているのである。

「どうでした、カントク」
一回目の空撮を終え、ヘリコプターから降りてきたカメラマンがぼくに声をかけてきた。
「え? ああ、よかったんじゃない?」とぼくは上の空で答えた。
実は、カメラとつながっているモニター画面などほとんど見ていなかったのだ。

(続く)

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