砂漠の薔薇
最近ではNHKEテレの「こころの時代」ぐらいしか見る番組がない。受信料を払っているのはこの番組を見るため、といっていいほどである。あ、「テレビでスペイン語」もたまには見るか。シシド・カフカさんがアルゼンチンを旅するやつだ。これは古くからの友人であるブエノスアイレス在住のコーディネーターが担当しているので見るようになった。
さて。
NHKはドキュメンタリーにすらある種のやらせがある(と、断言したら訴えられそうな気もするが)。これはテレビ番組の宿命なので仕方がないといえば仕方がない。伝統なのである。伝統的に、番組の作り方というのはそういうふうになっている。そして上から下へ受け継がれてきたのだ。私はこれが嫌でけっこう反発したのだが、それにこだわると自分が取材してきた素材が日の目を見ない、放送してもらえなくなるので仕方なく受け入れてきたという負の歴史を持っている。
NHKの場合、真実8割ぐらいというところか。まあ、両親的な方だといえばそういえなくもない。ただ、取材した映像素材を仕上げの段階で劇的に再構成してしまうのがいちばんの難点だ。モノによっては、
『ああ、これって盛り上げるために相当時系列を入れ替えているよなあ……』
と気付いてしまう番組もある(そういう番組は作り手が未熟だといえますが)。
もちろん、この「テレビはすべてがやらせ」傾向は民放にもあるのだが、NHKのドキュメンタリー番組を手掛けた時は、
『NHKよ、お前がやるのか……』
と超ド級のショックを受けたものだった。以後、私のドキュメンタリーに対する情熱がいささか冷めてしまったほどである。
そもそもドキュメンタリーというのは地味なものだ。誰かの人生を追っかけたところで、そうそう毎日ドラマチックなことは起こらないし(それって当然でしょう)。
その、「何も劇的なことが起こらない日常」を無理くりストーリーだてて盛り上げよう、ドラマチックにしようとするから見ていて苦しくなるんですね。事実に近い、「たいして盛り上がらないドキュメンタリー」でいいんだけどこちらとしては。NHKは視聴率を本来気にする必要が無いのだから、それが出来る筈なのに。
しかし。この問題がまったく気にならない番組についに私は遭遇した。
先日再放送していた、「こころの時代セレクション」というのを見たのだが、主役はサヘル・ローズさんだった。イラン生まれで戦災孤児という幼少期を歩み、ご縁があって日本に来て今活躍中の女優である。
これは素晴らしい番組だった。参りました。
難をいえばサヘルさんのアップを捉えたカメラのフォーカスが甘く(オートで撮っていたに違いない)、顔面への照明が強すぎてピーキングが100%をこえる部分が多く見られたことである(彼女の頬とか、鼻の頭とか)。まったく、変なところで予算をけちるなよ、と言いたい。ちゃんとカメラマンを二人使えよ、とかいうことである。撮影というのは画角、フォーカス、絞りだ。この三つが適切であれば、たいへんいい映像が生まれる可能性はぐっと高くなる。職業病か、そういうところが私は気になってしまうのだ。
とはいえ内容は、そうした映像の些末な欠点をカバーして余りあるものであった。
感動しました。
『世の中にこんな人がいたのか……』
ということを久々に思わせてくれました。
こういうことを思うと、
『よし、私も頑張らなくちゃ』
という前向きな姿勢につながっていくので大変によろしい。
サヘルさん、そしてお母さんのフローラさん。
二人に血の繋がりは無い。戦場でボランティア活動をしていたフローラさんが、空爆後の瓦礫の中から出てい小さな手を見つけたのが始まりだった。亡くなった子供の手だと思っていたら、まだぬくもりがあったのだという。フローラさんは仲間たちを呼び、その小さな手の持ち主を掘り起こす。赤子に近い幼な子。これが後のサヘル・ローズさんなのだ。
フローラさんはサヘルさんをいったん孤児院に入れたものの(戦場の瓦礫から掘り出したから育てる、そんな義理はないから当然だ)、やはり数年後に引き取ることになる。強烈な「ご縁」を感じたのだろう。それから逃れられなかったに違いない。
これだけでも凄い出会いである。2000年から8年間続いたイラン・イラク戦争の最中の出来事だった。
だからサヘルさんは自分の正確な年齢を知らない。実の父母の顔すら知らないのだから当然だ。
一方フローラさんは、サヘルさんを引き取ったことから裕福な親から勘当されてしまう。頼れる人間は当時結婚していた日本人男性しか思いつかず、日本に渡ってきたのだ。
それから二人の想像を絶する日本での苦難の人生が始まる。幾度となく死に瀕する状況に遭いながらも、人との縁だったり、信仰の力にすがったりで切り抜けてきた。えらい。えらいとしか言いようがない。
この辺のディテールは、番組を見てもらうしかない。涙なくしては見続けられないような内容を、サヘルさんが淡々と語っている。
今日本では、会社に入り20代30代の人たちが精神科にかかるケースが大変に多いという。健康保険の使用状況からそれが分かるのだ。
しかし。
サヘルさん母子の苦労に比べたら、日本の会社に於ける苦労なんて何でもないのではなかろうか。たぶんそういう精神的な苦しみは主に人間関係に端を発したものだろうから。ただ、こういうことは精神を病むほどに追い詰められている当事者に言っても伝わらないということも何となく分かる。他人との比較で、幸せや不幸せは測れないしね。それに、精神的に病んでいる時って視野が狭くなっているから。この番組を見ても救われるとは限らないし、見ようという意欲が出るところまでたどり着くのに時間がかかるかもしれない。
そうは言ってもいろんな人に見て欲しい番組だった。こういう番組との出会いもまた「ご縁」である。私がどんなに勧めても、見ない人は見ないだろう。
ま、それでもいいです。
そういうものなのだ人生は。私はたまたまこの番組を録画していて、たまたまリモコンのボタンを押したら再生が始まり、再生が始まったら目が離せなくなってしまったのである。NHKを、はっきり言って見直した。受信料を払っていてよかった、と思える瞬間が久々に訪れたのである。
しかし、だからといって(つまりサヘル・ローズさんの大変な人生を知ったからといって)、明日から私の人生が劇的に変化することなどはない。それは分かる。ほんの少し得をした、とかいうさもしい了見もありません。
ただちょっぴり感動したのだ。サヘル・ローズさんの人生に。その名前は、「砂漠の薔薇」という意味だという。
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